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#8023

達成感不足

今日の出来事年間計画

ここ1ヶ月ほどの自分は、傾向として嫉妬深くなってきているように思います。
これは、他者がさまざまな活動を公開しているのを見ると、
相対的に自分が何も成果を生み出せていないということが浮き彫りになってしまうからだと思います。
もし、自分なりに誇れる成果があればこんな気持ちにはなっていないだろうという半ば確信があります。
思えば、去年末も似たような感情だったように思います。


これは、残念なことに年間計画としての小説執筆が「自分なりに誇れる成果」になっていないということを意味します。
先日「満足感」はあったと書きましたが、「達成感」は無かったと思っています。
成果としての客観的なクオリティ云々というより、
完成までの総努力量が少なすぎて「成功体験」としてカウントされていないような気がする。
これは去年の本家ブログ移転プロジェクトについても同じようなことが言えます。
どちらも伏線となる作業は膨大だったものの、実際に作る工程はごく短期で終わらせたという共通点があり、
なおかつその「作る工程」においてちゃんと苦労しなかったので、報われもしなかったという気持ちがあります。
2023年の特設サイト移転プロジェクトはこうではありませんでした。


本家ブログ移転プロジェクトはともかく、
小説執筆プロジェクトはタスクを最小単位に分けて簡単にできる範囲で粛々とやる、という方針で進めました。
そのため日々やることはかなり希釈されていて苦労した実感は無いのですが、
基盤設定込みで考えると成果としては1日ではまず完成しなかっただろう、という程度のレベルにはなっていると思います。
つまり、決して「失敗」「頓挫」「妥協」したわけではない。
これで満足できないのは2つの理由が考えられます。


まずひとつは「苦労しなかった」という事実。
「面倒臭いけどやらなきゃ……」といったシーンがほぼ皆無だったので、苦労して何かを乗り越えたという実感も無い。
つまり達成感を味わうためにはその前に苦労するというスパイスが不可欠なのであって、
結果としてそこそこの成果物ができたとしても、そういう過程がないと無意味なのではないかと。
そして達成感という実感が無ければ、成果として誇ることができないのは当然のことです。


もうひとつは他者承認を経ていないという事実。
小説関連の通知ポストには多少の「いいね」はつきましたが、他人に読んでもらって感想を聞いたとか、
そんなコミュニケーションはしていません。
その気になれば知人に小説のURLを送って感想をもらうことはできますが、まあやらないでしょう。
しかし、そのせいで自分がやったことが自己満足止まりになっていて
たとえどんなに小さなコミュニティでも「社会に認めてもらった」という証が無い。
これが結局のところ成功体験としてカウントできない理由なのではないかと思うわけです。
つまり自分にとって、他者評価というのはそれだけ重い。
不当に重すぎる気がしますが、これは自己肯定感が低い人間にとっての宿命のような気もします。


大キリ番記事としての創作は慣習を守るのと今後発展的な創作活動をするために必須の活動だったため、
今年は致し方なかったのかもしれませんが、来年同じスタイルで進行する理由はありません。
やはり2026年は「無能主義」的なここ2〜3年の思想からの脱却を目指して、
自分に若干の負荷をかけてでもプラスアルファの成果を求めて努力の伴う活動を思い出し、
なおかつそういった成果を表に出せるような計画の選択をしていくべきだと改めて思いました。
ゲーム制作がそれに相応しいのかどうかについては要検討ですが、
いわゆる年間計画以外にも成功体験を積める活動の候補をいくつか用意しておきたいところです。



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