ファクトチェックの重要性
いずれ改めて振り返りますが、今年の当ブログのトレンドは「無能」です。
要するに高すぎる理想ばかりを追って本当の自分の能力に向き合ってこなかったことは間違いで、
本音ベースで自分の欠点と向き合いそこから模索することでようやく現実とも向き合えるという考え方です。
ちなみに去年と一昨年の一部は「誠実」でした。
これはやるべきことをやっていない後ろめたさこそが(他者に対する)負の感情の根本的原因だ、という考え方です。
一昨年以前のトレンドはパッと思いつきませんが、上京〜一昨年まではめちゃくちゃ意識が高かったです。
去年・今年の思想はそれに対する反動でもあるわけですね。
そしてその高い意識の中で、勉強や読書が習慣になったということを誇っていたこともありました。
『独学大全』を読んだころがピークだったような気がします。
いま、その習慣がどうなっているのかについてはお察しの通りです。
たまーに本を読んではいるものの、とても「月イチでブログに読書録を書く」というペースには及ばない。
我ながら結構すごいことをしていたなと思います。
現在は身の丈に合わない意識の高さを根本から否定しようとしているわけですが、
しかし読書の重要性を否定するつもりはありません。読書録も可能なら復帰していきたいと考えています。
ここで改めて思うのが、本選びにも意識の高さは反映されやすいということ。
であれば、その段階で意識的に意識を低くすることによって読書のハードルはかなり下がるのではないかと。
読書習慣の末期には積読が恐るべきスピードで増えていきました。
月1万円以上使っていたその財布の紐の緩さにも驚きますが、本当に何冊も買いながら全然読めていなかった。
しかしそれも当然で、どれも明らかに前提知識が足りていない難しい分野でした。
「このテーマで語れたらいいな」という願望だけが本を買う動機だったという感じ。
本屋さんにしてみれば上客かもしれませんが、やっていることはまさしく「意識高い系バカ」の典型例。
この暴走は深く反省する必要があると思っています。
当時は見ているコミュニティの治安が悪かったのもあり、
「自己啓発本はバカが読む。〇〇という哲学書くらいは一般教養だ」
などと言って他人が読む本のあれこれを批判する人の意見をよく耳にすることもありました。
そういう歪んだ価値観に半ば染まってしまっていたのも深く反省しなければなりません。
意識が高いのに一切何も読まないで人生を消費していくのと、
自己啓発のような軽めのテーマでも多少なり本を読み知識を深めるのでは後者の方が有意義でしょう。
もちろん、本にも明らかに有意義でないものがあり、それもまた真に受けないように注意する必要がありますが。
都度都度ファクトチェックするのはおそらく現実的ではないものの、
しかしそういうことも可能ならするべきというような姿勢は情報収集では必須になってくると思います。
ここ1年でGoogleの検索結果も明らかに品質が落ち、代わりに生成AIが台頭するようになりました。
しかしそのAIも平気でそれっぽい嘘をつくことがあり、ファクトチェックの重要性は増すばかりです。
情報収集の問題は一介のネットユーザーというより、現代人として一生続く課題になるんじゃないかなと。
そしてネットが大波乱に陥っているいまこそ、改めて本の重要性は見直してみてもいいのかもしれない。