承認欲求の暴走
改めて思うのは、承認欲求「だけ」を求める行動は非合理なところに着地しやすいということです。
承認欲求との適切な付き合い方については悩み続けてなお明瞭な結論が出ていませんが、
少なくともそれは「使い方」を誤ると自分の人生を迷走させかねない恐ろしさがあると思います。
直近でそれを実感したのは『カービィのエアライダー』ですね。
このゲームタイトルは世間的には間違いなく今年最大級の注目作で、
自分も可能ならその波に乗っかりたいと思っていましたが、
その実自分にはもうそんな気力が残っていないということは嫌と言うほどわかっていました。
でも、だからといってせっかくのビッグタイトルの発売日に何もしないのも悔しい。
ということで需要があるなら既存のシステムをフォークしたランキングサイトを作る意志がある、
というような内容の投稿をわざわざ本アカでしたり、
Discordに新規サーバーを作ってDisboardというサーバー検索サイトに登録したりしました。
両方、特に後者については何をやっているんだというレベルの黒歴史で、
発売してすぐにやらなくなったあとのいま思い返せば、本当に何をやっていたんだろうと思います。
いずれも、どう考えても自分みたいな熱量のプレイヤーがやるようなことではありません。
終わってみるとなぜこんな不合理なことをしてしまったんだろうという不思議があります。
これは、例えれば広大な砂漠で喉が渇いているところに1杯の水が見つかったとき、
その道中がどんなに険しくても水に向かって歩くしかないというようなことなのだと思います。
死ぬほど喉が渇いているからこそ、千載一遇のチャンスである水を見捨てる理由はどこにもないわけで。
承認欲求も、あまりにも満たされずに枯渇するとそうならざるをえない。
『カービィのエアライダー』の登場は、自分にとって第二の活動場所になる可能性がありました。
そしてそういう可能性はこうした新規タイトルの発売が契機であることが多いという昔からの固定観念もあります。
その確率は1万分の1かもしれませんが、ゼロより大きいのならやらざるを得ないみたいなところがあるわけです。
しかし客観的にみれば、どう見てもほとんどゼロなのだからそれは合理的な行動には見えない。
一言で言えば非合理というよりは惨めな行動だということなのでしょう。
これをどう反省するべきかということを考えたとき、
単に「ビッグタイトルだから」というだけで食いつくのではなく、
自分自身の熱量やポジションを冷静に考慮した上で少しでも高い確率のルートを選ぶ必要があるのでしょう。
自分のケースで言えば、やはりどんなに新鮮さが失われていても既存コミュニティで頑張る方がまだ可能性がある。
この歳にして完全新規のコミュニティを「作る」ということがそもそも難しいわけです。
新しいコミュニティに所属することさえ難しいんだから当然のこと。
その「合理性」と直感的な興味関心は相反することが間々あり、既存のものはつまらないと思いがちですが、
しかし実際にやってみれば合理的な方が楽しめるかもしれない。
そもそも、たいてい2週間で冷める「直感的な興味関心」は果たして信用できるのかという話です。
この辺は20代以前と30代以上では考え方や立場も違うのかなと思います。
20代以前なら直感に基づいて空手で挑んでも良かったのかもしれないけれども、30代以上はそうはいかない。
やはりどこまでいってももうこれまでのキャリアを無かったことにはできないわけです。
なので自分の興味関心や気持ちがどうであろうと、もう敷かれたレールの上を歩くしかない。
果たして本当にそうなのか、という疑問は散々抱えてきましたが、まあこういうものなんだろうなと思いつつあります。