匿名テスト
ここ3年くらい、主に「独り言」ではネット人格の承認不安の実践的な解決に向けていろいろな角度から考えています。
承認不安についての考察は何度もおさらいしているので割愛しますが、
ここ最近の自分の思想を一言で乱暴にまとめると、ネット活動はよほど卓越していないかぎり基本的に不毛な活動であり、
少なくとも実績ゼロの地点で不特定多数に認められることを前提とした活動はすべきではない、となります。
これは自分のネット活動遍歴のかなりの割合を否定していますが、しかしすべてではありません。
では、どういう活動は不毛で、どういう活動なら不毛ではないのか。
これについては、匿名テストをパスしたならば、その活動は有望であるというのが現時点の答えです。
ここで匿名テストとは、それが誰にも見られなかったとしてもしたいと思えるかどうかを自問して、
はいと答えられるかどうかという検査です。
逆に言えば、活動の結果、その成果がまったく認められないとしてもそれでもやる価値があると思えるかどうか。
もしそうでないなら、その活動はいずれ承認不安との戦いを避けられなくなるという点で不毛だということです。
この匿名テストは0か100かで決まらず、部分的にはそうだけど部分的にはそうじゃない、
ということが往々にしてありえます。
自分の場合、たとえばこのブログはさまざまな紆余曲折を経て誰にも見られなくても継続できる地盤を手にしました。
そういう意味では大部分は匿名テストをパスしているとも言え、伊達に長く続いていないと思います。
ただ、それでも「誰かに認めてほしい」という欲求はもちろんゼロではありません。
むしろ近年は低コストで誰かに認知してもらうチャンスを作れるなら積極的に実施すべきだ、
との思いから数年ぶりに投稿告知Twitterアカウントを復帰するなど、社会からの認知も狙うようになっています。
一方、なかなか手が出ないクリエイティブな活動はやはり他者承認を主目的としている側面を否定できません。
なぜ承認ありきなのかを否定しがたいのか改めて考えてみると、
これは主要プラットフォームに投稿するという前提があるからなのかもとふと思いました。
たとえば小説なら「小説家になろう」、イラストならPixiv、ゲームならSteamに投稿することを考えたとき、
否応なしにその閲覧数、「いいね」数、コメント(レビュー)、DL数などのステータスが作ったモノに結びついてしまう。
せっかく作ったモノのステータスがよりよいに越したことはないわけで、
つまり何らかのプラットフォームに投稿した時点で他者承認を重視せざるをえなくなるからなのではないかと。
本当にロースキルで努力のきっかけが掴めない活動は、これらに投稿することを前提とするのはむしろ悪手なのかも。
もしそうだとしたら、自分の場合ブログは2014年に独立プラットフォームへ移行したからこそ継続できている側面があり、
またクリエイティブな活動もプラットフォーム非依存なら着手できる可能性はあると言えそうです。
ややこしい言い方をしましたが、要するに自分独自のwebサイトでのみ発表し、承認は期待しないということです。
まあせっかく作ったらSNSで紹介くらいはするかもしれませんが。
去年春、完成度4割くらいで頓挫してしまったデジタルイラストの挑戦も、
「ブログの挿絵を作る」という目標なら再挑戦する価値はあるのかもと改めて思います。
あれもいろいろ方策を考えましたが、結局プラットフォームに発表するという前提が織り込まれていましたからね。
もちろんゆくゆくはそこに行き着くのでしょうが、自信が確立していない段階からそこを目指さなくてもいいのかなと。
ある意味、去年の大キリ番記事としての短編執筆プロジェクトはその一歩だったと言えるでしょう。
いずれはブログを文字媒体だけでない創作物を発表する場として育てていけたらいいなと改めて思います。