主人公になれない
いま現在、世界同時株安で含み損を抱えている関係でかなりネガティブな状態になっているため、
これはネガティブ思考が憶測に憶測を重ねた妄言であることを承知の上で考えてしまうのですが、
やはり自分が主体でないコミュニティに居続けても消耗するだけだなと改めて実感します。
もっと言えば、自分が「主人公」である社会に1つでも所属していないと自己肯定感はいつまでも育たない。
そしていま自分が所属しているリアル・ネットそれぞれのコミュニティは、
いずれも自分は主人公ではないと言わざるを得ません。
ここ3年推進してきた「推し活」も、利己的活動からの脱却という大義名分はあるものの、
結局のところそれに心から満足する瞬間というのはいつまで待っても訪れないわけです。
推しと直接話せる機会はVTuberならスパチャ、リアルアイドルならサイン会などであり得るかもしれませんが、
それはよっぽどレアなケースであり日常になることはあり得ません。
そしてそういうレアケースを除いた推し活動の日常というのは、推しから見た自分は有象無象のひとつでしかない。
ゲームコミュニティもここ2年はどちらかというと他者を応援するというスタンスでいましたが、
結局その立ち位置であるかぎりコミュニティの脇役であるという立ち位置を否定することはできない。
この場合、メインストリームの人たちと脇役の違いは当該ゲームをしているか否かの違いなので、
推しと創作活動の関係よりは比較的ハードルが低いのも事実ですが、
ゲーマー人生が後期高齢時代に突入してしまった自分にとってはその低いハードルを越えるのもまあまあ難しい。
「低いハードル」といっても、最終的にはメインストリームの人たちに匹敵する成果が必要だからです。
たとえば流行しているRTAの上位に入るとかですね。誰もやっていないスコアタで上位を取ったところで、
その種目を他に誰もやっていないなら注目されるに値しません。
リアルの関係においても、自分は基本的に相手が完全に無害だと確信しないかぎりは聞き専に回るタイプなので、
1対1の会話においてもコミュニティ主体になることはありません。
これは単にコミュ力(相手を楽しませる話術、基礎知識や趣味に対する造詣の深さ)の不足も多分にあると思いますが、
それ以上に相手の懐に入っていけない勇気の不足というのもあると思います。
主人公になるには少なからず勇気や努力が必要になる。
しかし、それが報われないことが多々あったのでコミュニティを信じ抜くことができないというわけです。
ただ、「コミュニティの主人公になる」ことが必ずしも正しいとは限りません。
ここは昔の自分とは異なる考え方です。昔は「主人公になれないなら人生無価値だ」と考えていた節があります。
これは長男坊特有の思想なのではないかと思います。
しかしいまは、人はより多くの人に埋没するのが当たり前、
オンリーワンになったからといって脚光を浴びることがないのも当たり前。
だからこそ「埋没する自分」を受け入れるように舵を切らないと消耗する一方だという考え方が根強いです。
これが合っているのかどうかは分かりませんが、
少なくとも言えるのはただ無防備に埋没しているだけではメンタルが保たないということ。
特にいまのような低迷期にこの現実は大きな重石になってきます。
コミュニティに対して「主人公になれないなら無意味だ」という価値観は間違っていると思うし、
客観的にはすごくわがままなことを言っていると思います。
一方で、脇役では満足できないという欲求不満があるのも偽りがたい事実であり、それを無いことにはできません。
まぁ、世の中の人たちも意外と、多かれ少なかれ主役になれない自分にうっすらと不満を抱きつつも、
ときに満たされないと実感するコミュニティにしがみついてどうにか生きているのかもしれません。
それではどうしてもダメだという人はたとえば配信者になったりするわけですが、
これも相当にコミュ力が必要な活動なのでスキル不足ならままならないでしょう。
「利己的活動は不毛」という経験的事実から推し活という「利他活動」にある種の希望を見出した近年ですが、
本音ベースでは結局この路線で満たされることはないということが分かってきました。
埋没してもなお満足するためにはどうすればいいのかを考えるべきか、
あるいは自尊心を捨ててでもチヤホヤされる道を探るべきか……。
また、根本的にあらゆる文化に対する意欲不足も多分に悪影響をもたらしているものと思われ、
そういう「地力」を鍛える方向に舵を切るのも手かもしれません。
いずれにしろ、「利己的活動がダメなら利他活動」という単純なスイッチングは失敗だったと認めざるをえないでしょう。