動機づけのねじれ
「需要もスキルもあるのに腰が上がらないのは『本心』をないがしろにしているから」
と言う文脈における「本心」とは怠惰に過ぎない、という一昨日の考察(#07838 / 2025年06月01日)。
この発見は本心を尊重することが重要だ(#06200 / 2020年12月09日)と考えてきた自分にとって残酷な結論ですが、
これによってまた行動指針が更新されてしまったので整理しておきます。
まず、「需要とスキルがあるからやる」のは社会的意義のある活動であって、簡単にいえばそれは仕事です。
仕事にやる気は必要ないという言説の通り(#07631 / 2024年11月07日)、
社会的意義のある活動においても、それは「やればインセンティブがもらえる」「やらなければ罰を受ける」
という単純な賞罰によって行動が促進されているに過ぎません。
そこに能動的な行動力、自分なりのこだわり等々はそもそも入り込む余地は無いということです。
「需要もスキルもあるのに腰が上がらない」のは、単純にインセンティブ不足なのでしょう。
それを自分の価値観や自尊心のせいにしても解決できないのは明らかです。
そんなことよりも、どうやってインセンティブを最大化するかを考えた方が有意義です。
これは、何気に近年の年間計画の考え方をひっくり返すかもしれない気づきです。
いままでは需要、スキル、そして自分の価値観が交差すれば自ずとやる気は満ち溢れるものだと思っていた。
しかし「本心」の正体は可能なかぎり怠けたい気持ちでしかなく、
それを尊重したところで時間の無駄だったわけです。
そんなことよりも、需要とスキルとインセンティブを天秤にかけて粛々とやる方が理にかなっている。
少なくとも社会的意義のある活動(承認欲求を目的とする活動)はそうであるような気がする。
そういう視点で既存の活動を捉えると、そのほとんどは基本的にボランティアなので継続できなくて当然と言えます。
いままでの自分は、そうした社会的活動の原動力を内発的動機づけに求めていた節があります。
つまり、自分がやりたいからやっているのであって、インセンティブは求めていないというスタンスだったんですね。
しかしこの考え方は根本的なところからメスを入れなければならないような気がしています。
社会的活動はあくまでもインセンティブを念頭に活動を継続するか否かを決めるべきであって、
自分が個人的に持つ興味関心はそこに無理やり絡めるべきではないと。
これは逆も然りで、個人的な興味関心を無理やり社会的活動に結びつけるべきではないという考えになります。
もちろん、趣味コミュニティ内の活動のように単純に切り分けられないケースも多々あり、
ことはそう単純でないことは分かっています。
が、基本的には社会的活動ではインセンティブを求めていき、
内発的動機づけでどうにかするのは補完的な手段にとどめるべきなのではないかと改めて思います。
とはいえ、インセンティブと言ってもあらゆる活動でお金を得るのはかなり困難で、
それはコミュニティがニッチであればあるほど望めません。
趣味の社会的活動で承認欲求を求めるのはその代償行為であると言えるのかも。
承認欲求を満たせるかどうかは本質的には成果のクオリティよりも「尖っているかどうか」なので(#07800 / 2025年04月25日)、
そもそも金銭も得られないならそこで必要以上に頑張ること自体が不毛と言えます。
それでもなおコミュニティへの貢献としてやりたいと思えるかどうかですね。
この辺は内輪でちゃんとコミュニケーションできているかどうかも大いに影響を受けそうなところではある。
信頼できる相手さえいれば、その人のために何かをしたいというモチベーションは生まれうるでしょう。
逆に言えば、そういう人がいないニッチなコミュニティで無償の努力を続けるのは相当厳しい気がする。
ピクチャレ大会の行き詰まりはおそらくそういうところに起因すると思っています。
「自分が活動すれば誰かが認めてくれるだろう」とコミュニティを信頼することができていない。
年間計画は「3」がキリの良い感覚なので3つ挙げるのを基本方針としてきましたが、
厳密には「所属しているコミュニティの数+1」とするのが妥当なのかもしれません。
ここで、「+1」は内発的動機づけのみで行うプライベートな活動を意味しています。
年初時点の計画に当てはめると、web制作は明確に社会的活動でそれ以外はすべてプライベート活動ということになります。
プライベート活動はいくつも並行してできないと思われるので、
そのうち重要度が高い創作を優先しているという現状の方針はそんなに的外れとは思っていません。
一方、web制作はもっと社会的活動であるという自覚を持って望みたいところです。