Chrononglyph

#8018

甘い言葉の人生論

今日の出来事人生観

いつの間にかブログ界の国内最大手に君臨していた「note」ですが、
まれに良記事に出会うことがあるので最近たまにおすすめをざっとチェックするようにしています。
そこで、『20代を逃した人が、40代で追い抜く方法。 』というタイトルで、
その言葉通り20〜30代を無為にやり過ごしてしまっても大丈夫だよという趣旨の内容の記事が注目されていました。
6,000いいねが「注目されている」と言えるかどうかは分かりませんが、
数値的にはかなりバズっている部類ではないでしょうか。


著者は、まず20代で頑張った場合はそれが「複利」としてその人の資産になるとしつつ、
若いうちから頑張れば構造的に優位になることを認めています。
一方で、「複利」で成果を得るのは何も時間的リソースを費やすだけではないと指摘。
40代からでも活路はあると言います。
そのためにも、まずは「自分は出遅れた」という自己否定をやめること。
過去を取り戻そうとする自己否定や焦りはかえって判断を鈍くするというのです。
20代はその体力と若さで失敗を恐れずに数をこなせること(失敗できること)がひとつの強みである一方、
年齢を重ねた場合は若いころと比べて選択を研ぎ澄ませることができるのが強みである。
「どれだけ頑張るか」という努力の度合いよりも、
どこで戦い、誰と関わり、何を残すかという選択についてしっかり見直し、リソースを集中することが大事だと。
また、その集中すべき活動を習慣というシステムに落とし込むことも大事だと言います。
若いころのように衝動的に行動するのではなく、習慣という形に設計して静かに前進を続けるべきだと。


二流の自己啓発本みたいな内容ですが、バズっているので刺さっている人が多いのでしょう。
しかし基本的な理屈として、量や質、そのベクトルはともかくとして努力の末に成功があるとするならば、
20代から努力している人に、20〜30代を怠けて過ごした人が勝てるわけがない。
「追い抜く」というのは誰に対して言っているのか分かりませんが、
素直に解釈すれば「20代を逃した人以外の他人」に対して言っているものと思われ、
だとしたらそれはちょっとした誇張表現であり現実的ではないように思います。


この記事の内容は体力が衰えてからの頑張り方の指南書としては、方向性は誤っていないと思います。
近年の自分も、どちらかというとこの著者の言うような「選択重視」の活動をしてきました。
どんなこともいったんは必要性を疑い、明らかに無駄なことはしない。やると決めたことはなるべくやる。
それ自体も本当に正しいのかどうかは分かりませんが、
一方でがむしゃらに頑張る気力がもう残っていないのはれっきとした事実であり、
がむしゃらに頑張れないのであれば選択から見直そうとするのは当然の流れであるように思います。


ただ、じゃあ20〜30代を怠けずに努力し続けた人が選択と合理化をしていないかというと、そんなことはありません。
彼らはそれこそ複利でとてつもない高さまで登っていて、もはや別世界を生きています。
そもそも本当に成功する人は、選択と集中を10代、20代のうちからやっている。
大学進学や就職など、制度設計的に若年の段階で「選択と集中」をする前提で作られているのがこの社会です。
10年以上何も生み出せなかった人がタスクの合理化だけでそれを追い抜けると考えるのは甘すぎると言わざるを得ないし、
「追い抜く」という言葉自体が競争原理の泥沼から抜け出せていないようにも思います。
競争原理の中に生き続けるかぎりはそこには勝ちと負けがあり、
40代までに努力できなかった人はさまざまな面で負ける可能性があまりにも高い。
それって活動の合理化でどうにかなる話なのだろうかと。


むしろ大事なのは著者も言っている「自己否定の停止」だと思います。
過去にサボっていたことを後悔するとますます時間を浪費する悪循環になるのでまずはそれをやめる。
そして過去(体力・気力があったころの自分)を基準とした活動設計をしない。
後半の甘言よりもこっちの方がよっぽど重要なのではないかと思いました。


余談ですが、当該記事の関連記事に「20代でサボった分は30〜40代では二度と埋められない」と言っている人もいました。
20代の頑張りがその人の社会活動の基準になり、人はその基準を急に逸脱できない。
なので20代に頑張って当然という基準を作った人はそのペースで走り続けるし、
手を抜いた人は30代になっても相変わらず手を抜き続ける。
20代から勉強している人はそれ相応の評価や信頼を得ているのでさらに学びを深めやすいなど、基盤もしっかりしている。
30代からスタートしてもそういった基盤はなかなか得られないのだと。


さて、どちらが正しいのでしょうね。
まぁでもこういうのは何が正しいとか正しくないとかというのはあまり意味が無いのかもしれません。
30代まで努力してこなかった人に後者の記事の内容を告げても「だからなに?」と言われて喧嘩になるだけです。
過ぎたことをわざわざ掘り返して責めたところでなんにもならない。
かといって前者の甘言で「君はいまからでも20代から努力している人に勝てるかも!」と言ったところで、
短期的には良い気分になっても結局なんの解決にもなっていない。
しかし、いいねがもらえているのは圧倒的に後者であるという現実もあります。
正しいかどうかというよりも、それを読んで楽になるかどうかで社会的評価(いいね)が決まっているようにも思う。
こうして考えると、不特定多数相手にこの手の人生論を披露するのは難しいと改めて思いました。
このブログのような自己批判的な主張をnoteに繰り広げても誰にも読まれなさそう……。



同じタグを含む記事(人生観
#8085理想と現実のゴールデンクロス』(2026/02/03
人生観今日の出来事
#802837』(2025/12/08
人生観今日の出来事
#8018甘い言葉の人生論』(2025/11/28
人生観今日の出来事
#7519ライフステージを再定義する』(2024/07/18
人生観今日の出来事
#751140代の展望から見た現状』(2024/07/10
人生観今日の出来事
#7454タコウインナーのその先』(2024/05/14
自尊心の問題人生観今日の出来事
#719630代後半をどう生きるか』(2023/08/30
人生観今日の出来事
#7023若き日にバラを摘め』(2023/03/10
人生観空想
#6044強い夢は叶う』(2020/07/07
七夕人生観空想
#5998自由人の生き方』(2020/05/22
人生観読書録備忘録
前後の記事