万年ビギナー
人生設計の根底に関わる話。
いま、自分はどちらかというと「広く浅く」いろいろなことに手を出しています。
具体的にはLLM(人工知能チャット)、Stable Diffusion、仮想通貨界隈、
web制作(仕事とプライベート両方)、ピクミン、テトリス、Apex Legends、多肉植物など。
当然、それらすべてを十分にカバーできているとは言い難く、
いずれも中途半端な段階で伸び悩んでいるということは薄々自覚しています。
しかし、どうもそれに対する改善の兆しが見えてこない。改善しようというやる気が出てこない。
このまま全部中途半端に進めようとすれば、共倒れになることが分かっているにも関わらずです。
人がある活動をしていることを自称しているとき、
それに対して本人が満足していないことを自覚しているならば、
その活動を継続する目的(辞めない目的)はどこにあるのだろう。
自分は、それはおそらく「その活動自体」ではなく、
「活動をしていることを自称することで付随する何か」にあるのではないかと思っています。
端的に言えば、それをしていることを自称することでステータスを盛ることができる。
あるいは、承認欲求を満たすことができるからこそ、
中途半端な「自称」から先に行けないのではないかと。
そこから先の活動を遂行するには、
単なるにわか興味だけでなく本当にそれを好きでないと継続することが難しいからです。
その仮説に則れば、自分みたいに「広く浅く」プロフィールを盛る人間は、
自分のステータスにある種の劣等感があることを自覚していることになります。
可愛くない女子がそれを隠すためにさまざまなコスメグッズを組み合わせて厚化粧をするように、
劣等感を隠蔽するためにあっちもこっちも中途半端覚悟で手を出して、
あたかも多方面に顔が利くような人を演じている。
しかし実際にはどれもこれも「天然でそれが好きな人」には勝てないという現実があります。
1つの分野では勝負できないからこそ多方面に手を出すわけです。
別にそれが悪いと言いたいわけではありませんが、
これはある意味活動の行き詰まりを意味しており、長期的にはあまり良くないのは確かです。
なぜなら、自分はこの多方面に手を出している現状に心から満足しているとは言い難いから。
ここが趣味を遂行するにあたって非常に重要な要素になってくるのではないかと思います。
その界隈に居ることを自称するだけでは「満足」することは永遠にありません。
満足したいならどこかで本気を出してその界隈に向き合っていかなければならない。
そうして初めて上っ面だけでなく深いレベルでその界隈を理解することができるのだと思います。
自分は個人ブログ全盛期には比較的運に恵まれて満足した活動をすることができていました。
具体的には各種同盟サイトや黎明期のこのブログ、
ピクミン2やメテオス、どうぶつの森のような当時のゲームのやり込みなど。
しかしTwitter登場後は完全に後塵を拝する形になってしまっており、
YouTube登録者数やTwitterのフォロワー数という指標で見れば悲惨な結果になっています。
(どちらも全盛期の末期に盛った分があるので数値上はそれなりの数ですが……)
でも考えてみれば、芽が出なくなった以降の自分を鑑みると、
『メテオス』をやり込んでいたときのように本気で取り組んでいたとはとても言い難い。
まあせいぜい2015年の『ピクミン3』で世界記録を獲ったのが最後でしょう。
それ以降は仕事やら加齢やらを言い訳にして、本気で取り組むステージから退いてしまった。
それが結果的に、いまの自分を不満足たらしめているのではないかと改めて思うわけです。
本気で活動することは辞めたのに、
ステータスは盛りたいので「自称」することは辞めない。
そうすると過去の栄光に縋ることになるわけですが、
こんなのはもう老害化の一歩手前と言わざるを得ません。界隈に迷惑をかける可能性すらある。
いずれも冒頭に挙げた分野には自分なりに定めた「ゴール」があり、
それを達成するためにはどこかで本気で立ち向かわなくてはなりません。
ただ、そのためには一時的にでも他の分野を忘れる必要がある。
ステータスを下げる必要があるということです。
一極集中で取り組む覚悟が芽生えれば、
もしかすると昔の自分みたいにがむしゃらに頑張れる可能性もまだあるのかもしれません。