底を打つという感覚
近年の自分は、いわゆるやる気の低下現象がしばらく続いていると、
あるとき「底を打った」という実感が湧き出てくるのを感じられるようになりました。
底を打つというのは投資用語で、
下がり続けていた値がこれ以上はもう下がらないだろうと思わせる反転を見せることを言います。
やる気が低迷したばかりの段階では、
日々の非充実さややるべきことをやっていない不甲斐なさなどでメンタルがやられます
(メンタルが下がってからやる気が下がるというわけではない、ということでもあります)。
しかしやる気を奮い起こすには一定のメンタルが必要……といまの自分は理解しているので、
両方無い現状ではどうにもならないというような状況がしばらく続きます。
しかし、その状況がしばらく続いていると、
ふと自発的に作業を再開してみようか、という気になることがあります。
実際にそれで即座に作業を再開するわけではないのですが、ともかく目の前の状況を直視できるようになり、
そこから問題解決したいと思えるようになる。ここが大底なのではないかと思っています。
もちろん大底から脱出したからといってすぐに元通りのライフサイクルに戻れるわけではありません。
特に他者承認に依存している活動の場合、大底を抜けても活動再開には心理的ハードルがあります。
他人からしてみれば活動をサボっていた人間に他ならないからです。
こういう状況が頻発していること自体、大いに問題はあるのでしょう。
以前はこれをよく諸活動の側に原因があると考えていました。
「他者が自分を認めてくれないコミュニティに居る必要性はどこにもない」的な考えです。
やはり他者承認は否定しがたいので、仕事にしろ趣味にしろ、
何かを頑張る原動力としての他人は重要な存在です。
ただ、だからと言って他人に不満が生じるたびに転職みたいなことを繰り返していたら、
人間関係の成熟は永遠に望めない。
それって結局承認欲求不満の根本にある「寂しさ」の最大要因なのではないかと。
とはいえ、メンタル不調が頻発するということは少なからず現状に不満があるということ、
現状の環境では自分の能力を期待通りに発揮できないということです。これはなんとかしたい。
ただ一方で自分は生来浮気性でたったひとつの文化にだけ触れ続けるということは基本的にできないので、
そもそも人間性の面からひとつのことをコンスタントに続けるのは無理なのかも。
じゃあ、自分に合った立ち回り方って一体なんなんだろう……?
まあいずれにしろ今年の01月はひどい1ヶ月でしたが、来月はそうでもないことを祈るばかりです。