浪費とメンタルの関係性
01月は完全に気持ちが沈んでいたのに対して、
その下旬で底を打ち02月に入ってApple Musicで運命の楽曲に出会った辺りから
明らかに気分も上向いています。毎日それなりにやることがあり、明日を楽しみにできるという実感。
まあこれが充実しているということなのでしょう。
できるかぎりこれを維持したいところですが、それが難しいことは分かっています。
であれば気分が陽線を引いているうちにできることはやっておきたい。
逆に気分が下回ったときはそれはそれでできることがあるので、
そのときにやるようなことはいまはさほど注力しなくてもいいのかもしれません。
ブログの過去記事処理や各種整理といった作業ですね。
このえも言われぬ充実感の根源は何なのかと考えたとき、
それは「1日の隙間を埋め合わせるだけの金銭的余裕があること」なのではないかと思いました。
特に自分の場合、これがあることで都心に行くという選択肢が生まれ、
都心に行くことで言うなれば冒険感を実感することができるため、
それができる・できないの差は大きいです。これは特にここ2週間で実感しています。
もちろん行き過ぎた浪費はデメリットが大きく戒められるべきではありますが、
休日のお出かけに際して特に理由が無くとも使える数千円〜1万円程度のお小遣いは
むしろ無いとQOLが極端に落ちるような気がします。
実際そんなことは無いと思いますが、
こう考えてしまうのは商業規模が大きい東京に住んでいるからこそなのかもしれません。
いずれにしろ、お金とメンタルは想像以上に密接な関係にあるということは否定できません。
ただ、繰り返しますがこれは浪費を肯定しているわけではなく、ここが難しいところ。
ここまでは使って良い、ここからはダメという妥当な線引きができないといけない。
ちゃんとした人生設計ができていないと納得の行く設定は難しいのではないかと思います。
かといって設定しなかったらメンタルの求めるがままにお金を消費していってしまう。
物欲もおそらく承認欲求と同じで依存性があると思われ、
最初は数千円で満足できてもずっと繰り返していればそれでは満足できなくなるのではないでしょうか。
となると、無限にお金が足りないという負のスパイラルに突入してしまう……。
それを防ぐ意味でも、お金を使うことは大事だけどセーブすることも大事というのは説得力があります。
自分は2021年までかなり強い浪費癖があったと思います。
2万円のフィギュアを買いながら飾らなかったり4万円のガラスケージを買って失敗したのは良い例です。
仮想通貨取引の初期に浪費癖はピークを迎え、
取引の失敗で深傷を負ったことでようやくその愚かさに気づき、
2023年は年間を通して逆にかなりの節約志向が身につきました。
ただそれにより2023年は2021年と比較してメンタルが終始低調だったのも事実です。
お金を使わないことを徹底すると同じような毎日になりがちだからでしょうか。
2024年は、その両方の教訓を汲み取ってバランスの良いお金の使い方を心掛けたいところです。