Chrononglyph

#7882

映画のような立ち位置

今日の出来事意欲の問題

一昨日紹介したモンハンワイルズの批判動画(#07880 / 2025年07月13日)で紹介しきれなかった部分に、
「SNS以前のゲームはコンテンツの王様だった。しかしいまはそうではない」
という主張があり、これもかなり頷ける部分だったので紹介します。


要するに、スマホの普及・発展によって現代はあまりにも手軽に刺激を得ることができるようになった。
その結果、フルプライスのゲームなどコストのかかるものに挑戦するハードルがめちゃくちゃ上がった、ということです。
手軽なコンテンツの具体例はTikTokやYouTubeのショート動画、アマプラ・Netflixなどのサブスク系動画サービス、
膨大な数の無料コミックが読める各種漫画アプリなどといったものですね。
これらはサブスク料金を除けばコンテンツ自体に料金はかからない。全部が無料。
しかも常に身につけているスマホをサッと取り出して秒でコンテンツを摂取できる。
そしてなによりも、コンテンツはキュレーションされるため選び取る必要が無く「選択の意思」すら必要無い。


この点、CSゲームは「コンテンツにお金がかかる」「ゲーム機を起動する必要がある」「能動的に選ばなければならない」
といった性質を持っており、基本的にとっつきやすさでスマホに勝てません。
しかもゲームという娯楽は「摂取して秒で快楽を得る」といった性質のものではなく、
レベリングやアクションの試行錯誤などといったストレス要素を乗り越えて初めてドーパミンが出るものです。
そのため、即効性という点でもショート動画などには勝てそうにありません。
こう考えると、ゲーム業界はひそかに苦境に立たされていると言われても頷けます。
この問題、あんまり表沙汰にはなっていない気がしますが……。


自分はアマプラやショート動画はほぼ見ていませんが、SNS(主にサブアカ)やYouTubeは依存している自覚があります。
そしてナカイドさんの指摘する「スマホ依存によるゲームの衰退」という構図が、
まさに自分自身のゲームの衰退とスマホ時間の利用増加にすっぽり当てはまるんですよね。
『Balatro』やポケポケのようなスマホゲームは特に抵抗無くできるのに、
コンシューマーゲームはかなり重い腰を上げないと着手できないのも辻褄が合います。


これに持論を加えるなら、ゲーム自体も「なるべく早く快楽を得る」方向にシフトしている気がします。
クリアするのに根気が要るようなゲームは大衆に選ばれにくくなり(とはいえ配信需要はある)、
どちらかというと手っ取り早く楽しいゲームが好まれるようになってきた。
いわゆるローグライクが新たなスタンダードと言ってもいいくらい根強い人気があるのも、
そうしたユーザーが求める体験が変化してきたことが一因としてあるのではないでしょうか。
いま『ファンタシースターゼロ』のエターナルタワーを登れと言われたら狂気の沙汰としか思えないですからね。
そう考えるとスマホ以前からコンテンツの消費スピードというのはずっと上がり続けていたのかもしれない。
ゲームの供給(というより自分自身のモチベーション)がもはやそれに追いつかなくなったと。
自分の場合それはここ数年とかそういう話ではなくて、もう10年以上前からそうなのではないかと思っています。
ゲーム購入一覧を確認すると、ちょうど社会人になる前後がその境目だったような気がする。
社会人1年目から露骨に積みゲーが増え始めていて、
具体的には『ポケットモンスター オメガルビー』が最初の契機と言えそうです。
やはり自分のゲーマー人生は『ピクミン3』辺りが最後だったのかも……。


その後もゲームをプレイすること自体は継続してきましたが、社会人以降は少なからず積みゲーも増えていきました。
その勢いがさらに加速したのが2019年で、上京以降は加速度的にひどくなっていました。
この惨状にやっと自覚的になり「自分はもはやゲーマーではない」と思えるようになったのは去年からですね。
上京以降は本当に一握りのビッグタイトルにハマったくらいで、
体験としては年1〜2回映画館で映画を観るようなものに近いんじゃないかと思っています。
それはもはや「映画が趣味」とは言えないし、ゲームも同じようなことが言えます。


そういうわけで、自分の場合はゲームの消費スピードは学生時代の終わりと同時にとっくに飽和を迎えていて、
ゲームは映画を観るように特別な体験で日常の動線に存在しないものになっていたのだと思います。
それはスマホ依存を脱却すれば云々、というような話でもありません。
じゃあどうするかという話ですが、特にこの現状は変えるべきものではないと思っています。
つまりゲームは日常の動線に無く、非日常の体験をもたらす映画のようなものとしてこれからも楽しむというわけですね。
趣味と言えるほど高頻度ではないかもしれませんが、そこでちゃんと楽しめるなら文化として十分。
「ゲーマーを自称しないという矜持」がこれからは大切になるんじゃないかと思っています。


明後日に控える『ドンキーコングバナンザ』は、いわば映画のような立ち位置のタイトルです。
自分はもうゲーマーではないしスマホ依存にも抗えないですが、
それはそれとして映画を観るような気持ちで新作を楽しめたらと改めて思います。



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