やる気が出ない原因を探る #2
今月から2021年以来3年ぶりにアナログノートの運用を再開しました。
システム手帳ではなく、今月はとりあえずミドリの「ダイヤメモ」での運用となります。
ダイヤメモは半世紀近く売れ続けている定番のメモ帳で、
2014年当時通っていた職場の近くの書店でたまたま買ったことをきっかけに使うようになりました。
今回もたまたま最寄り駅の書店で取り扱っていたので買うことに。
ただし、いままでは胸ポケットサイズでしたが今回は初めてB7サイズにしてみました。
これはシステム手帳のM6に比較的近いので、M6の面積で十分なのか否かを判断するために選びました。
もし1ページ当たり書ける量に不足を感じるならシステム手帳はバイブルサイズを買うべきだし、
まあこれで十分かなと思うならばM6にしようかなと思っています。
1冊使い切るまではこれで行くつもり。
アナログノートは思考整理の役に立つので、せっかく運用をスタートしたということで
「なぜ今年に入ってからの自分はことごとくやる気が出ないのか」
という目下最大の課題を乗り越えるために、白紙の上で本腰入れて考えてみました。
すぐに思いつく承認欲求などの報酬の不足は、
昨今の生活を思い返すと2024年現在の自分は2023年当時の自分よりよっぽど恵まれていることに気づきます。
具体的には金銭問題や趣味のコミュニティへの参加度合いですが、これらはどちらも去年より改善しています。
つまり、これら外部要因だけを原因と決めつけることはできない。
まあ、投資については直近で負けているので現在やや心理的負荷は高い状態ですが……。
他に考えられる要因として深掘りしてみる価値がありそうだと思った気づきは、
- サボった日が連続していることによって心理的ハードルが高まっている
- 受動的に楽しめるコンテンツで得られる充足感が、作業によって得られる達成感の代替になりつつある
- 途中で挫折するケースが多く「完走」した経験が相対的に減っているため目標を適切に設定できなくなっている
という3点です。
1点目はまあよくあることで、いわゆる先延ばし癖の根源とも言うべき心理現象。
これは基本的に小手先のアイデアではどうにもならないので、根性論で着手するしかないと思います。
ただタスクの細分化によってある程度克服しやすくはありそうではある。
油断するとよく陥ってしまう不治の病みたいなものですが、まあこれだけが原因なら気楽なものです。
ただ、心理的ハードルの高さが半端ないのは確かで、
丸4ヶ月サボっている自分はかなり気合を入れる必要があるのは確かでしょう。
2点目は、年初来から急速に自分の生活の中で占有率を上げてきている
YouTubeの視聴が脅威なのではないかというもの。
YouTubeが面白くて満足するならあえて積極的に努力して何かやる必要もないという。
こう書くとものすごい自堕落な印象がありますが、実際受動的なコンテンツに染まっていくことで
能動的に何かをやらないと、という焦燥感が薄れていくのを感じます。
かつての自分はネットに居場所が欲しいという気持ちが強く、
それゆえにその焦燥感に動かされてさまざまなことを計画してきた経緯があります。
GAFAがプラットフォームを整備する以前のネットは、そうしないと居場所を確保できなかったからです。
しかし、SNSなどが整備された現代においてはもはやその常識は通用しません。
加えて近年になって自尊心にも変化が起きたことでこの辺の価値観は大きく変わってしまいました。
意識改革で他人に嫉妬したり劣等感を抱いてイライラしなくなったことに対する副作用と言うべきか。
それに「動画を見るだけ」と言うのは一見してノーリスクなので、
踏み込んで何かをして失敗した経験があるとこういうものに縋ってしまう傾向はあると思います。
自分の場合は、年末の企画失敗からのドタキャンが直近で非常に大きな失敗体験になっていて、
動画で満足しているかぎりはそれに向き合わなくて済むというのはあるかもしれません。
ただ、感覚的にまだYouTubeが他作業を阻害するほど依存しているとも思っていないので、
あくまで1点目の連続サボり状態の隙間を埋める二次的な要因だと思います。
3点目。何かを「やり切る」「徹底的にする」ということができないということは、
近年に限らず昔からある自分の悪癖であり、若干今更感はあります。
ただ、計画の頓挫はそれまでの努力をドブに捨てる行為であり、
モチベに悪影響をもたらすのは間違いないでしょう。
最近は何かを計画しても、いろいろと考えた結果キャンセルするというケースが多くなっています。
それは計画自体の実現可能性がそもそも低いという問題も多分に含まれていますが、
中途半端な覚悟で着手した結果、途中で収拾がつかなくなりモチベが消えるというケースが多い気がする。
ただ、これについては2023年に新ピクチャレ大会の制作という一大プロジェクトをいちおう完成させているため、
直近でこれだけの規模感の計画ができているなら当てはまらないのでは……という見方もできます。
これは2024年特有の問題というよりもっと人生全般の課題であるような気がする。
ただ、直近も多少なり当てはまっているのは確かでしょう。
これも1点目に関連しており、連続サボりを脱出しても中途半端なところでやめてしまって
「やり切る」ところまで行けなかったら、
結局成果を生み出せないので長期的にはあまり意味が無いことになってしまいます。
あくまでも最後までできるように計画を練る必要があるでしょう。
こうして考えてみると、最大要因はシンプルかつ強力な「連続サボり問題」なのかも。
そしてそれを乗り越えるには、あれこれ言い訳を考える暇があったらとにかく着手する、これに尽きる。
こんなにシンプルなことに自分は4ヶ月も翻弄されていたのか……?
まあ、もちろん4ヶ月のうちちゃんと行動できている日もあったと思いますが、
年間計画というレンジからみると去年末、春と2回連続で計画が頓挫しているというのも事実。
とりあえずは2点目、3点目に対するちゃんとした答えを模索しつつ、
根性論で一歩目を踏み出すのが正解なんでしょうかね。