言語化できない体調不良
以前、やる気は存在しないという言説について自分なりの意見を書いたことがありました(#07611 / 2024年10月18日)。
ある人いわく、やる気というのは結果であって「行動を起こす要因」ではない。
つまり、やってみて「もう少しやろうかな……」というエネルギーがやる気であって、
「やる気が出たらやる」という文脈における「やる気」はできない人が造り出した言い訳の方便であると。
自分はそれに対して、「やる気が出たらやる」というのは言外の期待に応えるつもりはないという意思表示で、
要するに主体的にはもともとそれをやりたくないと思っているにすぎないのではないか
(つまり社会的外圧と本人の欲求のズレがあることが本質的な原因なのでは)……という意見を書きました。
一方、「行動を起こす要因」や、逆に「行動を起こさせない要因」というのは確実にあって、
それこそがいわゆるやる気なのではないかとも思います。
特定の人を振り向かせたい、期待に応えたい、注目されたい、追い越したい、思い通りにさせたくない。
こうした対人関係において生まれるエネルギーというのは確実にあり、
やる気(意欲)は他人に与えられるものだ(#05971 / 2020年04月25日)という気づきはだいぶ前からあります。
これは心理学的には外発的動機づけと呼ばれるもので、
根底には承認欲求、所属欲求などといった社会的欲求があります。
外発的動機づけには他にもお金がもらえるから、といった報酬によっても刺激されます。
基本的に仕事は外発的動機づけに基づいた活動というわけですね。
それに対して、他者や報酬とは関係なくそれをやりたいと思うことがあります。
単に自己満足としてやる、興味関心があるからやる、楽しいからやる、といった行動。
その根底には、自分らしさとの関連性、「自分ならそれをできそうだから」という有能感などがありますが、
まあ一般的には「好き」という気持ちに対する率直な行動、と考えるのがしっくりくると思います。
個人的には、これら外発的動機づけと内発的動機づけは、
適切なバランス感覚で行使できる人が社会において成果を生み出せているような印象があります。
外発的動機づけだけでは、他人に見られていないと行動が継続しないのでなかなか成果につながらない。
内発的動機づけが強すぎても、外発的動機づけが伴わなかったらそれを他人に評価される機会を得られない。
自分は外発的動機づけがかなり強い人間であることを自覚しています。
だから「意欲は他人に与えられるもの」という気づきは当時それなりにクリティカルな発想として認識していました。
イメージとしては外発的動機づけはあくまでもメインの動力となる巨大な歯車で、
内発的動機づけはそれをサポートする小さな歯車といった感じです。
この構造を否定できない以上、他者との関係性が自分に与える影響というのは計り知れないし、
自分の人生というのは実は他者との関わり合いによって形成されているといっても過言ではない。
ただ、内発的動機づけのサポートを意識しつつ、外発的動機づけに基づいて行動しようと思っても、
どうもうまく身体が動かないことがあります。
つまり、あるタスクが自分らしさに直結した「興味関心のある好きなこと」の範囲内にあることを確認した上で、
しかもそれをすることによって他人の信認や報酬を得られることが明らかであるにも関わらず行動できない場合。
そこには第3の要因が絡んでいるように思います。
いわば、「なんとなくやる気が出ない」というような状態。
これについてはさまざまな要因があると思いますが、
少なくとも「言語化できない程度の体調不良」が絡んでいるのではないかと見ています。
ハッキリ体調不良と言い切れるほどパフォーマンスが悪いわけではないけれども、
身体のどこかに無意識的に気になるボトルネックがあって、目の前の活動に集中できない。
先延ばしにできるタスクは、頭のどこかでなるべくなら先延ばしにしたいと待ち構えています。
そうした怠惰心と身体の些細な不調が噛み合うと、
それらを否定してでも活動をするためにはそれなりに強い意思が必要になる。
このとき必要な意思決定リソースというのが、本人が思っているよりも多いのではないかと思った次第です。
その活動が自身にとって有用であると思えばこそ、
都度意思決定リソースを消費してやる・やらないを決めなくていいように習慣化することが大事だというわけですね。
冒頭の「やる気が出たらやる」というのは、
「言語化できないが体調が万全ではない気がする」という意味での引っ掛かりがあるというケースもあり得ると思います。
そして、体調が万全でないとできない=先延ばしの誘惑に非常に弱いという状態に対しては、
やる気の有無はともかく「意志が弱い」という批判はできそうです。
冒頭リンク先で自分は「社会的責任やアイデンティティなどを根拠にした『やる気』は存在する」と書いていますが、
そこでいうやる気はどちらかというと「意志力」なのかもしれません。