創作活動と自我
以前、『原神』の二次創作界隈でイラストレーターとして活動されている方が、
「絵師は自我を出すなと言われるけれど、私は無理。自我を含めて私なのだからそれを受容してほしい」
というような趣旨のつぶやきをしていました。
ここでの「自我」とは、イラスト活動とは関係ない私生活上の感情表明、
特にネガティブな感情を発露することを指しているのでしょう。
それを創作アカウントで表に出すことを許してほしい、というような意味合いに聞こえます。
また別のケースで、イラストレーターとしては商業レベルかつVTuberとしてもトップクラスの「しぐれうい」が、
コンプティークという雑誌の付録として世に出た自身の顔が描かれたお面について、
「私以外の推しの箱企画でお面を付けていくのはちょっと違うよね。 推し活動に自我を出しちゃダメでしょ」
という趣旨の話をしていました。
ここでの自我とは、ファンの自己都合でTPOを逸脱しているという意味として解釈できます。
「しぐれういの言っていることが正しい」と言ってこの話を終わらせることは簡単です。
推し活動にしろそれ以外にしろ、趣味別にコミュニティが細分化された現代でTPOを守ることは大事だし、
そういう空気を読み取れない人はどこへ行っても疎まれる傾向にあると思います。
ただ、じゃあ前者の絵師さんが絶対間違いなのかと言われるとそれもそれで微妙なところではある。
確かに創作アカウントでネガティブ発言をすることは少なからず創作物に対するイメージ低下につながり、
誰よりもまず発言者本人にとって良くないことであるのは確かです。
しかし、絵師は何もアイドルではない。潔癖を求められているわけではありません。
活動を通じてできた人間関係で、「自分のことをより理解してほしい」と思うのは当然の成り行きであるように思います。
ファンボックスで日常的な日記を書いている絵師さんは多くいるし、
それをも「自我を出してはならない」と切って捨ててしまうのは厳しすぎるような気がします。
基本的に承認欲求欲しさにするイラスト活動は割に合わないと思うので、
負の側面も受け入れてもらってやっとトントンだと言われればそうなのかもしれないなと。
とはいえ自分は結局この絵師さんの意見には反対で、しぐれういの言っていることは正しいとは思います。
私生活的なアカウントでないかぎり、
ネット活動の場で心の暗い部分を表に出すと、たいていネームバリューの毀損にしかならない。
またファン活動として、たとえばさくらみこのライブにしぐれういのお面を付けていくのは絶対NGで、
そういう意味でのTPOを逸脱した行為が歓迎されないのは確かでしょう。
表現者もそのファンも、「自我」を出しすぎず抑制してこそクリーンなオタク活動ができるというのは確かだし、
そういうコンセンサスを醸成させていくことが界隈にとって良いということは間違いないと思います。
オタク活動の場というのは、決して自分の弱い部分をヨシヨシしてもらうためにあるわけではない。
ただ、素の自分を表に出せないせいで活動そのものが息苦しいと感じることが多々あるのもよく分かります。
自分は実はそんなにすごい人間ではない、
こんな弱っちいところもあるんだと理解して欲しくなる衝動というのはある。
特にTwitterの場合、「私生活を公開するアカウント」と「趣味としての活動の場」が混同しているケースもあり、
なおさら難しい問題になっているのではないでしょうか。
しかし、そういう諸々の事情をグッと堪えて表に出すべきことだけを表に出すのがプロだとは思うんですよね。
たまーに商業レベルの絵師さんなのにTwitterで政治的主張をしていてガッカリさせられるケースがありますが、
創作で食っていくならそういうことはリスクにしかならないと思うわけです。
それは何も商業レベルにかぎらず、承認欲求が欲しくてしているというレベルでも同じことです。
これについては、本当にTwitterというプラットフォームの悪いところだなというところに尽きますかね……。
やはり自分は一貫してTwitterアンチなのだと再認識しました。