Chrononglyph

特定文化批判

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#7922

五段階評価の国民性

PCゲームプラットフォームのSteamでは、
最近海外ディベロッパーの間で「日本語でリリースすると評価が下がる傾向にある」と言われているそうで、
この風潮が広まれば日本語訳を出してくれなくなるんじゃないかという懸念の声が出ています。
なんでこんなことになっているのかというと、
これは別に「意図的に悪評価を残す日本人が多い」とかではなく単に文化の違いのようです。
日本人の多くは、そうそう簡単に5段階の「5」をつけませんよね。
一般的には、ニュアンスとしてはめちゃくちゃ面白い、他人にも勧めたいと思える神ゲーで「4」。
及第点以上、要するに普通の評価が「3」。イマイチだなと思う場合は「2」以下という感じでしょうか。
安直に「5」をつけるとサクラを疑われると考える人も多いと思います。
学生時代の通知表の影響なのか、文化的背景はわかりません。


しかし海外では違うようです。
良いという評価は「5」、それ以下なら「4」以下というざっくりした評価だそうで。
5段階評価の意味無いじゃん、と言ってしまえばそれまでなのですが、ここで大きな問題が発生します。
海外ユーザーのみなら、ニュアンスとしては及第点以上なら「5」をつけるのに対して、
日本人の場合は同じレベルの評価で「3」以上ということになるため、
日本人を含めるかどうかで平均値が大きく変わってきてしまいます。
ディベロッパーからしてみれば評価はストアにおける露出度、すなわち売り上げに直結するため死活問題。
であれば日本語対応をあえてしないことで評価を高く保つという戦略を採るのも、ありえなくはないと思います。
日本語対応はマルチバイトだし(欧米人にとって)世界一難しい言語ということもあり、
機械翻訳の精度がかなりのレベルの現代でもそれなりに面倒でしょうからね。


5段階評価というもののシステムを考慮すれば、自分は日本人の習慣の方が正しいと思います。
もし良い=「5」、良くない=「4」以下で筋を通したいなら「いいね」と「よくないね」ボタンだけでいいはず。
「良くない」の中に4段階も刻む必要性も分かりません。
我々が正しいのに割を食うというのは理不尽のようにも思います。
今後、これについてSteam運営のValveが動くのか、それともひっそりと日本人が割を食い続けるのか、
どうなるかは分かりませんが後者になるような気がしなくもないです。


正直、個人的にはあと10年くらいでユーザーレビューのあり方はガラッと変わるんじゃないかと思います。
これはかなり性善説に基づいて作られたシステムで、実態に即していないんですよね。
実際にはGoogle mapsの店舗口コミには営業妨害とも言える荒らしが跋扈しているし、
それはAmazonの商品ページやApp Storeのアプリ、Steamのゲームについても同じようなことが言えます。
レビューを書く方は身元を明かさないし責任も取らないのでなんでも書けてしまうわけです。
それこそ憶測に基づく非難や中傷、ごく個人的な感想に過ぎない駄文やクレームなどは世に溢れていて、
それらは少なからずサービス提供側に損失をもたらしています。


しかも都合が悪いことに、このレビューを参考に消費活動をしている人というのが結構な割合で存在する。
モンハンワイルズ騒動の件でも書きましたが、この評価をその商品の絶対的評価とみなす人も少なくないわけです。
それくらい影響力があるなら なおさら責任あるレビューを求められてしかるべきだと思うんですが、
大手プラットフォーマーたちは一向に重い腰を上げません。
まぁ、プライバシーの問題などいろいろと厄介な問題があるんでしょうね。
ただ、完全非匿名でしか投稿できないというのはかなり難しいと思っていますが、
「参考にならない」を一定数押されたらレビュー一覧から消滅して評価にも反映されないようにする、
という程度の施策はもはや必須だと思うんですよね。
それを実装した上で5段階評価は廃止して「良い」「良くない」だけにするというのが無難でしょうか。
特にSteamは「圧倒的に好評」「非常に好評」といった高評価率を主に参照されているわけで、
なおさら文化の違いでブレる5段階評価は不要だと思います。


果たして10年後、5段階評価はまだ生きているのか否か……。
まぁでも、個人的には音楽のマイレートはずっと生きていてくれないと困りますが……。
蛇足ですが、音楽はマイレートの他に「好き」という基準ができてさりげなく両立が実現しているんですよね。
ローカルは5段階、集合知としての評価は2段階という音楽における評価基準がある意味理想的なのかも?


#7579

見ない自由

これは周期的に巡ってくるような気がするのですが、
最近は自分に直接関係あるわけでもない他人の言動について、短絡的に非難したくなる時期に入っています。
ここでいう「他人の言動」は、ほとんどがSNSにおける日常的な投稿です。
実際に非難してしまえばトラブルになるのが明白なので、さすがに近年は感情的な投稿はしなくなりました。


この手の言動が鼻につくようになるというのは、過去の経験則から言って自責論的には2つの原因があります。
ひとつは短期的に強い承認欲求不足に陥っているという可能性。
自分も話したいことがさまざまあるが
テーマの都合上話しにくい、身近な人間関係の都合で適切な話し相手がいないなど、
それがなかなかうまく消化できずにわだかまっているような状況でよく当てはまります。
承認欲求不足ではあるが、アイデンティティーの問題から手放しにそれを発言するわけにはいかない。
そういうときに空気を読まず無粋な発言をしている人を見ると嫉妬に近い苛立ちを感じるというわけですね。
自分はルールを守っているのにあいつは守っていないじゃないか、と。
まあこういうのを「ルール」と言い切ってしまうのは別の問題がありますが。


もうひとつは経緯を知らずに結論だけ目にしているために誤解しているという可能性。
もうサービス名を書いちゃいますが、この問題は短文投稿を主旨とするTwitterにおいて頻発しやすいです。
そしてTwitterのような短文投稿サービスというのはあまりにも誤解を生じやすいシステムだと自分は思います。
自分はもう2015年くらいから一貫してアンチTwitterですが、その主な根拠がこれです。
まず大前提として、人の考えは140文字で経緯まで含めて説明できるわけがありません。
「その人がどういう経緯でその結論に至ったのか」を受け手に全部任せた上で結論だけ投げておいて、
それで他者に理解を期待するというのはあまりにも無謀な行動だと言わざるを得ない。
受け手が期待されている通りに理解するには、そもそもかなりその人自身を理解している必要があると思います。
そして個人的にはそのレベルの他者理解はTwitter単独では不可能だと考えています。


なので2022年以降の自分は基本的にAクラスタのアカウントならAについてしか語らない人の投稿しか読まず、
思想を込めた日常的なつぶやき(ネガポジ関係なく)をする人は
どのクラスタでも割と容赦無くリムブロミュートしています。
が、実はここだけの話、一部のアカウントはリトマス試験紙用にあえてミュートせずに残しています。
その人のつぶやきに対してイラッと来たら「あ、承認欲求不足に陥っているな」と判断できるので便利なんです。


ただこれには致命的な問題があり、単純にフォローがどんどん減っていきさらなる欲求不満を起こしやすいです。
そのため結局はリアル交流によるコミュニケーションが大事になってくるわけですが、
一方で昔ミュートした人もコンプラ意識が高まって許容範囲内に収まっているかもしれない。
そういう可能性を確認するために年1回くらいはミュートリストの棚卸しをした方がいいのかもとふと思いました。


こう書くとなんというか一部の属性の人に「上から目線だ」と批判されかねないと思うのですが、
もちろんそれは誤解で、他者が自分をミュート等する自由もあると思うので普通にお互い様だと思っています。
この辺はこの10年でSNSの相互フォロー関係における距離感の取り方が変わった影響なのではないかと。
以前はあまりにも距離が近すぎたので、それを適切な距離まで遠ざけようという感じですね。


投稿する自由があるのなら、それと同じくらいそれを「見ない自由」も認められるべきだと思っています。
インターネット文化黎明期からある「嫌なら見るな」というやつですね。
この辺は大きなテーマになるのでこれ以上深掘りしませんが、
昨今のコンプラ意識の高まりはいままで距離感が近すぎたことへの反動も大いに関係しているのではないでしょうか。


#7541

奇数作と偶数作の違い

ピクミン関係の検索順位を調べていたら「ピクミン2はクソゲー」と主張するブログを見つけてしまいました。
自分の好きなもののアンチにわざわざ手を突っ込む愚行はもうするまいと心に決めていたのですが、
自分のようなファン歴の長い人間とは真逆の視座から見た『ピクミン2』がどう見えるのか気になってしまい、
その長文お気持ち表明をざっと読んでしまいました(『ピクミン2』はクソゲーでした。 - やんまの目安箱 )。


クソゲー認定した根拠として、著者は『ピクミン3 デラックス』の体験版をきっかけとし、
「限られた1日というリミットの中でする行動を計画的に決め、ダンドリ良くそれを実行する」
というゲーム性に強く惹かれてピクミンシリーズをプレイするようになったようです。
『ピクミン3 デラックス』製品版、『ピクミン1』と購入してそれぞれなんとかクリア。
そして3番目に手を出したのが『ピクミン2』だったわけですが、ゲーム性がまるで違うと怒っているわけです。
確かに『ピクミン2』は先述のようなゲーム性は重視されておらず、
著者も指摘するようにその最大の特徴とも言うべき要素が時間制限の無い地下洞窟です。
そこにダンドリ(目的を見定め、計画し、素早く回収する)
というゲーム性が無いわけではないことは著者も認めているものの、
毎回構造が違うローグライト形式であることによってむしろリアルタイムの判断力を求めるゲームになっており、
それは著者が求めるピクミンのゲーム性ではないのだと。
これら「クソゲー認定した理由」については概ね筋が通っているかなと思います。


ピクミンシリーズの偶数作はおそらくマンネリ防止の観点から運ゲー要素が特に強く、
競技対象として見ればここぞというときに結果を出す地力(チャレンジ領域)や、
リアルタイムで最善を計算し遂行する地力(RTA領域)といったものがプレイヤースキルになる世界だと思います。
一方で奇数作はどちらかというとルート構築やそれを遂行するチカラが求められる世界で、
一見して似たようなゲームですがその実プレイヤーに求めるモノがかなり違うわけです。
もちろん突き詰めれば偶数作にもルート構築力は必要だし(短日数攻略など)、
また逆も然りなのですが(配置運など)。どこに面白さを見出すかによって適したカテゴリは全然変わってきます。
ピクミンシリーズという括りはそういう意味ではオリンピックのような多様性があると言っても過言ではないでしょう。
おそらく未プレイのユーザーが想像しているよりはるかに広い世界だと思います。


全然違うゲームを片方の基準でもう片方をクソゲー認定するのは無粋というか暴論ではあるのですが、
ナンバリングタイトルである以上はゲーム性が似ていると考えるのは自然であり、
奇数作を2連続で遊んで3番目に偶数作に手を出した著者は本当に残念なケースであると言わざるを得ません。
これだけの長文を書き殴るモチベーションがあるくらい期待してくれていたんだろうなと思うと……。
文面から「本当はゲームも上手くありたかったが現実はそうではない」ことへの劣等感が滲み出ていて、
終盤の洞窟でその自尊心をかなりいじめられてそうな雰囲気があるのがキツい。
自分の実力を読み間違えるとこれほどストレスがかかるゲームもなかなかないですからね。
思い通りにならなかった屈辱がそのままゲームに対する不満に直結するというのは感情的にはよくあることで、
低評価をつけるゲームレビューでも
「難し過ぎる」というようなきわめて主観的な感想がまかり通っているケースは少なくありません。
これは強いて制作側の課題として考えればプロモーションや世界観のイメージと難易度のギャップなのかなと。


SNSでもときおり、『ピクミンブルーム』でピクミンファンになったものの
本編をやってみたらその高い難易度に絶望してすぐにギブアップしてしまったという声が聞かれます。
ピクミンは実はかなりマニアックなゲームで(特に偶数作)、かなりハードルは高い部類なのかもしれません。
いろんな意味で期待を裏切りやすい構造になってそうな感じはあります。
偶数作と奇数作の問題然り、キャラデザの可愛さと本編難易度のギャップ然り……。
たとえばソウルライクのような触れ込みならプレイヤーもストレスがかかることを覚悟して挑むものですが、
ピクミンはあたかも誰にでもできそうな触れ込みでプロモーション展開しているのもあり、
そこは実際に買ってから理不尽に感じる人が多くなりやすいのかもなぁ、と。
そしてそんなタイプのゲームがいまの時勢に合っているかと言われると……そこはお察しの通りです。
こりゃあやり込みプレイヤーも増えないわけだわ。


任天堂さん、「ピクミンと一緒に100まで数えるアプリ」なんて作ってる場合じゃないですよこれは。
少なくとも本編は5作目からはもうナンバリングを取ったほうが良いのではないかと思いますよ。
アンチの長文記事のおかげでそんな危うい立ち位置を改めて認識させられてしまいました。


#7478

MTGの誤訳問題

自分の中で過去2回大きなブームが来たにも関わらず、なかなか趣味として昇格しない文化があります。
それはカードゲームの始祖『マジック・ザ・ギャザリング』(以下、MTG)。


中学時代にクラスの一部でひそかに流行っているのは知っていましたが、
自分はどちらかと言えば『遊戯王OCG』派だったのもあってなかなか手が出ませんでした。
それから長い時間を経た2014年、iPad専用アプリとしてデジタル化していることを知り興味が爆発。
当時の最新セット『基本セット2015』を購入して身内と構築戦を楽しんでいました。
たまたまこのセットからカードフォーマットが新しくなって見やすくなったのもあり、
絵柄の綺麗さも相まってコレクターとしてのモチベーションもかなりありました。


さらに3年後、ひょんなことからドラフト戦の面白さに目覚め、再びカードセットを買い漁るようになりました。
ドラフト戦とはブースターパックを未開封のまま持ち寄り、
開封したらその中から1枚選んで隣の人に渡し、また渡されたパックから1枚選んで渡し……
という手順を繰り返してカードをピックし、即興でデッキを構築する遊び方です。
あらかじめデッキを作る構築戦と違ってデッキを組む手間が大幅に削減されるため、
気軽にプレイできるのが魅力ですがやるたびに実費がかかる贅沢な遊びでもあります。


自分はカードゲームはかなり弱い部類ですがMTGという文化は間違いなく好きで、
昔からずっとその世界に入っていきたいという思いはありました。
時代が進むと『マジック・ザ・ギャザリング・アリーナ』という完全デジタル版までもが登場し、
世界に踏み込むハードルはさらに低くなっていきました。
2021年には「フォーゴトン・レルム探訪」という
TRPGの名作『ダンジョンズ&ドラゴンズ』とのコラボセットも発表され、喉から手が出かかったのも事実です。
にも関わらずここまでに至って本格的なコレクターあるいはプレイヤーとして出発していないのは、
カードを販売している日本法人によるカードの誤訳問題があり、商品としての不信感が拭えないからです。


MTGの本場はアメリカなので、当然オリジナルは英語。
よって日本語版はそれを翻訳したものがリリースされることになるわけですが、
近年(2018年くらいから?)は新セットが発売するたびに「誤訳のお詫び」というニュースリリースが出ており、
もはや誤訳の発生が定例化してしまっています。
しかも年々1つのカードセットに含まれる誤訳は増えてきている傾向にあり改善の兆しがありません。
中にはゲームプレイに支障をきたす致命的な誤訳も少なくなく、
誤訳以前の問題(1文丸ごと抜け落ちている)も散見され、あまりにもひどい仕事ぶりと言わざるを得ません。


まれに誤訳されたエラーカードが封入されているのであればむしろ希少価値と見なされることもありますが、
刷られているカード全部が誤訳された状態で販売されているということになると、
もうただただ日本語版カードの価値を毀損しているだけです。
コレクションというのはそれに価値を感じるからするのであって、
これではコレクション対象として見るにはかなり難しいところがあります。
どう考えても誰にとっても百害あって一利なしの状況だと思うのですが、
不思議なことに日本法人はお詫びの声明以上のことは過去数年一度も行ったことがありません。
本当に反省しているのか、組織として再発防止の取り組みをしているのかどうかさえ不透明です。
旧Twitterを見ているとファンからの批判の声もありますが、それもそこまで多いわけでもありません。
外部から見れば半ばまかり通っているような状況にも見受けられ、ここが非常に不思議です。
もうファンにはすでに見放されているのでしょうか。


端的に見れば翻訳業者がめちゃくちゃ劣悪な環境で仕事をしているんじゃないかと邪推したくなりますが、
そもそも日本法人が何も手を打たない現状を本場のウィザーズ・オブ・ザ・コースト社はどう見ているんだろう。
日本市場があまり大きくないので放置されてしまっているんだろうか……。
でも「神河」や初音ミクコラボなど日本市場をターゲットにした施策も結構あるイメージなんですけどね。
プレイ人口から考えても誤訳による損失は無視できないものだと思うのですが。


この件でさらにヤバいのは、紙のカードだけ誤訳が蔓延っているというわけではなく、
デジタル版にも誤訳がありしかも放置されているらしいという状況です。
そのおかげでもはやコンテンツとしての信頼性は皆無で、足を踏み入れようとは思えないのが現状です。
それでも絵柄が魅力でコレクションしたいと思うなら、英語版を買うのが無難でしょうね。


公式の迷走によりIPの価値が落ちるというのはコンテンツ産業では良くあることではありますが、
これはその中でも特級にヤバい案件のような気がしてなりません。
いっそのこと、炎上大好き界隈に注目されて一度ボコボコに叩かれてリセットして欲しいと思わなくもない。


#7330

キャンセルカルチャーの暴走

芸能界の大御所、松本人志が活動を「一時休止」することが発表され話題になっていました。
というのも年末に週刊文春が「(相当昔に)松本人志が一般女性に性加害をしていた」
というスキャンダルを報道したのに対し、
本人は事実無根だとして法廷で争うために本業を休止するとのことです。
個人的にはこれはもう底辺が好む話題だと思っているので知りたくもないのですが、
要はいつもの有名人を引き摺り下ろそうというやつですね(なんとか二毛作とも言う)。
Wikipediaの週刊文春のページを読むと、数多くの下劣なスキャンダル報道の中に
少なくない敗訴の歴史が混じっていることがよくわかるのですが、
その賠償額は数百万円に過ぎず、敗訴しても文春は基本的に報道姿勢を変えていません。
これが司法の敗北でなくて何なのでしょうか。


松本人志が性犯罪を犯したのだとしたら、それは個人として裁かれるべき問題です。
そして誰が裁くべきなのかと言えば、裁判所や警察などの公権力であるべきです。
そんじょそこらの雑誌に公に罪が確定していない人間の名誉を傷つける権利はありません。
まして、これが事実無根だとしたらとんでもないことです。


自分が成り上がる可能性を閉ざされているクズたちにとっては、
有名人の失墜は気持ちの良いものなのでしょう。
そういう人たちに需要があるからこそ文春のような汚いメディアが成り立つわけです。
現代の息苦しさは世の中に少なくない底辺層の存在が大きく関わっていると思います。
彼らにとっては、自分はもう表舞台に出る可能性はゼロなのだからそれでいいのかもしれません。
しかし社会で真っ当に努力して表舞台に上がろうとしている人にとっては脅威でしかないわけです。
もちろん、有名人の悪事が闇にかき消されるようなことは望ましくないし、
このようなメディアの存在が有名人の不祥事の抑止力になるという考え方はあるかもしれない。
しかし報道された場合のダメージがあくまで個人にすぎない人間に対して大きすぎると思います。
人生を破壊していると言っても過言ではないでしょう。


そしてそもそも論として、最近よくある表舞台に立つ人間は一切の不祥事も許さない、
過去に遡っても許さないという風潮は行き過ぎなんじゃないかと思いますね。
ポップアーティストの小山田圭吾も東京オリンピック音楽スタッフ就任後、
1994年の雑誌にイジメ加害者であることを告白していたことを掘り起こされて辞任を余儀なくされました。
もちろんイジメそのものは許されることではありません。
しかしそれを根拠にして現役の仕事を降ろされるのは本当に妥当と言い切れるのでしょうか?
表舞台に立つ人間に完璧超人を期待するのは一方的な価値観の押し付けなのではないかと。
選挙で選んだ選挙区の議員ならともかく、有名人なんてただの他人じゃないですか。
ここまで厳しくすることが果たして社会にとってプラスになるのでしょうか?


で、民間企業にすぎない雑誌メディアがなんで他人の人生を破壊する権限を持っているのかと。
それがまかり通るなら民主主義に則って法律を作って運用している意味無いのでは???
その意味では、自分はスキャンダル系の三流雑誌やそれに類するメディアは
もう反社会勢力と言ってもいいんじゃないかと思っています。
小山田圭吾は自分から進んでインタビューに応えた形で非行を暴露しているので
自業自得と言えなくはないですが、
松本人志の場合は完全に本人の預かり知らぬ場所で暴露されてますからね。
この時点で名誉毀損罪が成立するような気がする。
だとしたらそれを常習的に行なっている文春はまるで犯罪者集団じゃないですか……。
もちろん、枕営業や芸能人界隈の裏側など、表面的には分からない事情がいろいろあるんでしょうけど。


SNSによって加速している炎上問題やキャンセルカルチャーは
もう「暴走している」と言ってもいい段階まで来ているのではないでしょうか。
今後もっと社会が貧乏になって格差が進めばさらに手がつけられなくなるかもしれませんが、
個人的にはあと10年もしたら旧時代の負け組が減って文春のようなメディアの支持基盤が失われ、
こうした風潮にものすごい逆風が吹くのではないかと予想しています。
たとえば、勝ち組を擁護し最底辺を叩く中の下勢力が台頭してくるとか。自分みたいな。
少なくともインターネットとメディアに対する法規制はより厳しくなってそうな気がします。
まあ、いまのところどれもこれも希望的観測でしかないんですが。


#7279

離婚報道に見るモラルの腐敗

男子スケートの覇者であり未婚女性から絶大な人気を得るイケメン、羽生結弦くん。
今年08月に電撃入籍し話題となったものの、先日スピード離婚となったことで再び話題に。
離婚に至った理由が、非公開としてきた新妻(一般女性)を
ストーカー被害等から守り切ることが極めて難しく、
その相手のためを思えばこそ離婚することが最善の道だという判断に至ったからとのこと。
羽生ファンの嫉妬が単なるSNS上の悲鳴に留まらず、実害を与えるに至ったということなのでしょう。


そしてその離婚を嬉々として報道するスポーツ各紙。
公表されていない新妻をがっつり実名で取り上げ、その出身地からは落胆の声が上がっているとし、
「男としてどうなのか」等とあたかも離婚を決断した羽生くんが悪と決めつけるような論調です。
海外メディアでは「結婚前にこうなることを予見できなかった羽生がパートナーを深く傷つけた」
とする批判の声を取り上げていたりもします。
何というか、これら記事を流し読みして


あー、早くこのクソみたいな世界滅ばないかなー!!


と心底思いました。


まあ、結局こんな記事が量産されるということはそれだけ需要があるということなんでしょう。
記事を読む側にしてみれば登場人物が悪ということになった方が気持ちいいわけですから。
実際には嫉妬して実害を与えている人こそが本物の悪なんですが、
そんな正論を言ったところで記事のエンタメ性は落ちてしまうだけです。
まあなんというか、これが社会によるイジメでなくてなんなんだっていう。
ガチで嫉妬している人はかなりの少数派でしょうが、
いかんせんネットはそういう極端な意見に都合の良い情報が増幅されやすすぎる嫌いがあります。
炎上商法という言葉も定着して久しいですが、
こういう記事に関しても極端な人の意見を叩きたい大衆のニーズもあるのでしょう。


自分は少し前からそういうニュースが目に入りやすいメディアはシャットアウトしており、
おかげでかなりストレスは減ったように思っていたのですが、
羽生くんクラスのゴシップとなると
普段そういう低俗な話題を取り扱わないサイトですら取り上げるので避けようがないという。
実際に離婚報道は一般ニュースアプリの速報で知りました。
こうなると普段そういうニュースに接していない分、ストレスが強いんですよね。
情報過多社会でスマホを使っている以上完全なシャットアウトは難しいので、
結局はクソみたいな世界に順応していくのが最善なんだろうか……。
この辺をうまく割り切る心構えを習得するべき段階に来ている気がする。


#7121

Netflixによるゲーム買収

一昨年Steamでリリースされて個人的には去年買った『ショベルナイト ポケットダンジョン』。
ローグライクにパズル要素を融合させた作品で、
近年なかなか良作のパズルゲームを発掘できていない自分にとってはかなりの注目作でした。
実際やってみてかなり面白かったのですが、この手のゲームは携帯でサクッとプレイしたい。
ということでいつかスマホ版が出ないかなー、と心待ちにしていたら、
先日ついにリリースされました。
普段からパズルゲームを探しまくっていることもあって
App Storeの「あなたにおすすめのゲーム」でピックアップされていました。ナイス選出。
Appleのキュレーションは結構精度良いですよね。という話はさておき。


さっそくダウンロードして起動してみるとNetflixのログイン画面が。
まさかのNetflix有料会員限定アプリ!!!
調べてみると月額1,500円払わないと遊べないそうで。高すぎるわ!!!!


動画サブスクサービスとしては古参であるにもかかわらず、
近年はAmazon Prime Videoなど後発のサービスに押されてかなり調子の悪いNetflix。
実は数年前からモバイルゲームに手を出しており、
もともとスマホでリリースされていたゲームを買収してストアから削除し会員限定で再配信したり、
他のプラットフォームで好評を博しているゲームのスマホ版を独占配信したりしています。
Netflix会員ならそれらを無料で遊び放題なのですが、
当然Netflixを契約していないが気になったタイトルだけ遊ぶには割高となります。
殿様商売で有名(?)なAppleの同等サービスであるApple Arcadeでさえ、
Netflix Gameの4倍以上のタイトルを抱えてなお月額600円だし、
もともと単独配信していたゲームを買収しても元タイトルは買い切りのまま残すようにしています。
そう考えるとNetflixの独占体質はかなり悪どい部類と言わざるを得ない。
GameClubみたいに最新OSに対応できない等で一度消えた名作を復活させる代わりに
サブスク料金を徴収するというのならまだ分かりますが、Netflixはそれですらありません。
ただただプレイ機会を奪っているだけの商売という点でかなり悪質です。
自分のように気になっていたゲームのスマホ版を待っていた側からすると本当にひどい。
さすがにこれ1タイトルを1か月遊ぶためだけに1,500円は不条理ですしね……。


まあNetflixがもう一度覇権を握るとは思えないし、
このまま衰退してAppleのApple TV+とApple Arcadeに吸収合併されてくれれば嬉しいのですが。
ただAppleって企業の買収は基本的にしないそうで、その意味では望み薄かも。
Microsoft辺りに買収されてさらに状況が悪化しないことを祈る……。


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