Chrononglyph

恋愛観

前へ1 / 4次へ
#7545

匿名通話で地雷を踏んだ

微妙にここ最近愚痴の割合が多めになっている感が否めないですが……
書ける内容の記事はどんどん消化していきたいフェーズなので今回も愚痴になります、ごめんなさい。


昨日、コミケでかわいいを堪能したあと、帰宅後はさすがに体力が残っていなかったので寝転がっていました。
それで例の匿名系SNSで通話募集している人がいたのでダメもとでレスしてみたら、
珍しく自分に声がかかり通話することになったんですね。
こういうのは基本的に先着順で、爆速レスする人が結構いるので指名されることはあまりありません。
そもそもまったく知らない人といきなり音声通話というのはかなり抵抗感があることで、
自分がレスすること自体あまり無いのですが今回はたまたま通ってしまいました。


で、いざ通話してみたんですが……
相手に何を聞いても「特に趣味はない、この連休は何もしていない、それはわからない」と不毛な回答しかなく、
こちらから一方的に無難な会話を広げようとしないかぎり本当に何一つ会話が進まないという地獄でした。
「匿名相手に通話したいと表明した以上は話したい何かがあって当然なのでは??」
という疑問がずっと尽きませんでしたが、マッチングアプリなんかではわりとよくあることのようです。
まあ非常にわかりやすい部類の地雷ですね。
誰かと精神的に繋がっていたいが、そのために表現するスキルが皆無で迷走している人ってわりといるイメージです。


自分はここ数年でコミュ力はかなり改善したと思い込んでいましたが、
この件でどんな相手とも話せるわけではないのだということを再認識しました。
相手が殻に閉じこもっているタイプの場合、自分はまだその殻をこじ開けるほどのコミュ力は無いと。


この1年で匿名系SNSを通じて通話に至ったケースは実はこれで3回目で、
前回も今回と似たような感じだったと記憶しています。
前回はまだ相手も会話を広げようと努力してくれる節はありましたが、
なんというか全然違う畑の人間なので共通項が世間話レベルでしかなく、表面的な話だけで終わった記憶。
前々回は同じインドア人間でゲーム好きだったのでかなり会話も広がりました。
最近のポケモン事情とか国語教育の話とかしていました。
こうなるともう延々と話せるしすぐに仲良くなるので、
自分はやはり同じ穴のムジナとしか仲良くなれないのだと改めて思います。
ただその人とも2回目のあとお互いの都合が微妙に合わない日が続き、それだけで疎遠になってしまいました。


こういうことはいわゆるマッチングアプリに登録していると日常茶飯事だと思うのですが、
異性不信に繋がりやすいのではという懸念があります。
そもそもマチアプの目的であるところの異性交際は、
地雷を踏んだり交際後にトラブルを起こすリスクや少なくない交際費等々のコストに見合うものなのでしょうか……?
こういうことは再三考えていますが、どうしてもマッチングアプリ側を擁護するのは難しい気がする。
こういうことを考えている時点で自分はもうかなり「拗らせている」部類なんでしょうが、
それは恋愛=して当たり前という価値観を前提とする意見です。
そういう既存の価値観からすれば自分はどうしようもない弱者で負け組なのでしょう。
2010年代後半くらいまではそれに対する劣等感が半端ではなく、トラブルに繋がったことも多々あります。


いまも立場的には変わらないのですが、そういう精神的なネガティブさは不思議とありません。
むしろ、同僚や友達と適度に健全なコミュニケーションができて
コミケ等でかわいいを過剰気味に摂取できている自分は幸せな部類でさえあると考えています。
自分の中ではもう古い価値観の中で生きることそのものが廃れつつあるのかなと。
もちろんリアル世界ではまだ旧価値観の人が圧倒的に多いように見えるし、
その中で生きていれば当然旧価値観の勝ち組になりたいと思うことはいまだにあります。
しかしサブカル方面の右肩上がりっぷりを見ると実は自分みたいな考えの人も増えているのでは……と。


#7483

愛について

今日の出来事恋愛観

20年前の今日、当時気になっていた子と縁側で並んで座る夢を見たのをきっかけに、
「自分はやっぱりあの子のことが好きだったんだ」と自分が初めて恋愛感情を抱いていることを確信し、
とはいえいまさら相手にはもう会えないので初めから終わっている片想いとして
夢を見た6月12日を恋愛を象徴する記念日として当時はさまざまな活動の起点にしていました。


20年後のいま、恋愛を取り巻くあらゆる状況が変わったこの時代に、
学生時代に一度たりとも恋愛成就できず現時点で好きな人もいない負け組の自分も
いまさらでも一度くらいはパートナーを得るために行動すべきかどうかについて悩んでいるわけですが、
基本的には生涯独身を受け入れる方が合理的で現実的なのではないかというのが現時点での考えです。
20年の節目に、今日はその辺についていろいろ整理しておきたいと思います。


まず、正直ベースの気持ちとして恋愛・結婚は可能ならしたいという願望があるのは否定しがたいです。
たとえば自分は旧Twitterでは「結婚」などのキラキラワードをNG設定しているため、
タイムラインを読むかぎり結婚報告などが流れてこないようになっているのですが、
最近どういうわけかそのフィルターをすり抜けて結婚というワードが流れてきてしまいました。
不意を突かれた形でとはいえそこで少なからず嫉妬感情を自覚したという事実があり、
やはり自分は嫉妬するくらいには結婚願望、
あるいは独身であることへの劣等感があるんだと改めて自覚しました。


ただ、それは厳密には社会的ステータスが誰かよりも劣っていたくないという欲求であり、
純粋に恋愛・結婚したいという欲求ではありません。
こうなると恋愛に付随するリスクやデメリット、たとえば時間的・金銭的自由がある程度目減りすることや、
友人以上の深い関係を維持するための配慮をし続けなければならないことなどを、
単にステータスを盛るためだけに受け入れ乗り越えられるかと言われるとかなり疑わしいです。
付き合って間もないころならともかく、
結婚して同居して子育てとなると不自由になるどころかストレスに晒される局面も多くあるでしょう。
特に乳幼児期の子育てのような高いハードルを、社会的ステータス欲しさに挑むのは馬鹿げている。
そういう目的の違いは交際トラブルにすら発展しかねません。
自分もかなり自由を重んじるタイプ(ありていに言えば協調性が無い性格)なので、
無策で相手を見繕っても余計にQOLが下がるだけだと思っています。
負け組人生を恋愛で逆転ホームランしたいというのはよく聞く話ですが、
そういう人がどうにか相手をゲットしたとして幸せになったという話は聞いたことがありません。


これは相手にも大きく依存するため、自由に関する考え方の一致は必須条件と言えます。
この辺の考えを下手に妥協して相手本位に付き合い方を決めてしまうと危ない気がする。
しかし個人的にはそれよりもどうやって他者と深い関係を築き上げるかという価値観、
言うなれば「愛」に関する考えの方がより深刻なのではないかと思っています。


これは、恋愛のみならず往年の課題である承認欲求の問題にも深く関わっています。
自分は誰かに認めてほしい(特別でありたい)という欲求が比較的強く、
またそれゆえに誰かに否定されると必要以上にダメージを受ける脆さがあるという自覚があります。
だからこそブログ黎明期の頃から、ネットで承認を得るべくさまざまな活動をしてきました。
なぜそんなことをしたのかというと、現実では承認欲求を満たすことができなかったからです。
しかしネット社会はある意味で現実よりも冷酷な実力主義社会で、
たとえコンテンツが認められてもコンテンツを作った人の人格までも認められるにはかなり高い壁があります。
いつしかネットで承認欲求を得ようとするのは不毛だと確信するに至りました。
また、社会人になって最初の数年は仕事がネット活動の代替として機能すると思っていました。
会社という小さな箱の中でなら、頑張れば相応に認めてくれると思っていたからです。
しかし、転職とコロナ禍を経て働き方が変わったことでその考え方もいまや通用しなくなっています。


この考え方と自分の恋愛観に共通しているのは、「自分は頑張らないと誰にも認められない」という固定観念です。
そしてその根底には「自分という人間が無条件に愛されることは無い」という信念があり、
裏を返せば「自分は他人を無条件に愛することもできない」ということでもあります。
たとえば……チャットで誰かにメッセージを送った後、
99%あり得ないような状況でも「もしかしたら否定されるんじゃないか」とビクビクしている。
それなりに気が置けない仲間に対してすら、なんらかの頼み事をするときなどそう思うことがあります。
また作ったものを表舞台に出すとき、
どんなに丁寧に作ったものも他者に否定されるのではないかという恐れを抱いている。
つまり他者との信頼関係について考えるとき、その根拠を損得勘定以外に求めることができない。
このことから、自分はかなりの人間不信に陥っていると分析することができます。
だからこそ無条件に誰かを深く信頼するということは起こり得ないと思っているのではないかと。
このような考え方があるかぎり、少なくとも結婚以上のステージに進むのは危険でしょう。


そのため、「好き」と「愛」はまったく異なった概念であると認識しています。
前者は一方的な感情もあり得ますが、後者は片方の気持ちの大きさだけでは成り立たない。
相手をどんなに好きだったとしても、その人と深い関係を結べるかどうかは別の話。
たとえこの世で一番好きなあの人が突如目の前に現れて付き合うことになったとしても、
その人を本当に愛せるかと言われると確固たる自信はありません。
「好き」は単なる感情でいくらでも行使できますが、「愛」というのはある程度責任が伴うイメージです。
「愛」は「好き」の単なる上位互換ではありません。
めちゃくちゃ好きでこの世で一番好きならそれが自動的に「愛」になるというわけでもない。
「愛」を成立させるためには双方の欠点を含めた相互理解が不可欠であり、
その存在そのものが相手にとっての一助になるような信頼関係がないと成り立たないと思います。
少なくとも相手に否定されるのではないかと内心ビクビクしているような関係に「愛」はありません。


現状は、対象不在で恋愛を語ることは不毛であるという考え方を動かすことはできなさそうです。
つまりマッチングアプリを否定する立場は変えられないという意味です。
その根本的な原因が幼少期から続く自分自身の人間不信にあるのだとしたら、
人間不信に陥っている性格を是正することでもう少し希望のある考え方ができるのかもしれませんが、
あまりにも長い道のりであると言わざるを得ません。


好きな人ありきで恋愛について考えられるならこの考え方は180度変わっていたと思うので、
学生時代に1度もそれを経験できなかったのはどんなに後悔しても後悔しきれません。
チャンスは幾度となくあったのに、なぜ1度たりとも挑戦しなかったのか……。
まあ、当時の自分の人間性、不誠実さ、その他諸々を考慮するとこれが妥当だったのかもしれないと思うものの。


#7376

恋愛観の整理

今日の出来事恋愛観

2020年からいまだに毎週続いている当時の同僚との毎週金曜日のゲーム会で、
ついに「恋バナ」が解禁となり長々と話していました。
1日では語りきれなかったので次週に持ち越し、そこでさらに本格的な議論になると思うので、
その前に自分は婚活・恋活についてどうありたいのかについて改めて整理しておくことにします。


年始に、今年は恋活の土壌がある意味社会人以降初めて整った年なので、
のち人生で後悔しないように行動したい1年にしようという話を書きました(#07323 / 2024年01月04日)。
思い返せば社会人になったのが2013年、初年度はそもそも非正規だったので論外として、
2014〜2019年はブラック企業でそれどころではなかったし(まあこれは言い訳ですが)、
それに付随して2018〜2022年は精神的に参っていたのでそれどころではなかったし、
2022〜2023年は仮想通貨の負けによる金銭的困窮によりそれどころではありませんでした。
2023年の終わりにボーナス満額支給と30年来の睡眠障害の寛解によって状況が改善し、
そこで満を持して迎えたのが今年というわけです。
この12年で対人関係の考え方もかなり進歩し、コミュニケーション能力もかなり良くなったと思います。
それらと引き換えにどうしようもなく歳を取ってしまったわけですが……。


2019年以降は、いわゆるチャットアプリ(匿名系SNS)によって手軽に異性と話す機会を手に入れ、
いろいろな年代とさまざまな話をしました。
そこでは異性と気が合うこともありましたが幻滅することもありました。
200人くらいと話したわけですが、結局チャットアプリからの恋活は不毛という結論に至っています。
と言うのもお互いに簡単に次の話し相手を手に入れられる=乗り換えられる以上、なかなか個々人を尊重しがたい。
何か少しでも認識のズレがあったら会話をやめて次の人へ、というパターンがよくあります。
そもそも真面目に相手を探そうとしている人が少数派で、変な人も多い界隈です。
最初の1発言以外すべて塩対応だったり、会話の引き出しが皆無な人はザラにいる。
場合によっては独身を装った既婚で不倫相手を探しているなんていうケースもあり油断できません。
独身同士話が通じても、それはそれで顔写真もプロフィールも無いので無条件に期待が高まりがち。
いざ会ってから幻滅するというパターンは顔を公開するマチアプですらあるので、
チャットアプリでも往々にしてあるでしょうし、自分も1人目がまさにそのパターンでした。
話が合う=恋人として適格というわけでもないということですね。
どうしても見た目の相性というものがあり、それは無視できないくらい大きな要素らしいのです。


またチャットアプリ自体はそもそも出会いを禁止しており、運営側にバレればBANされて音信不通になります。
2人目がおそらくそれによって連絡が途絶えてしまいました。
これらの事情から、チャットアプリは入り口は広いもののそれでも不毛と言わざるを得ません。
かといってマチアプもその構造的に非モテにはアンフェアすぎるのが実情であり(#07134 / 2023年06月29日)、
やはり間口が広い出会い系ツールには限界があると思っています。
だいたい、せっかくの恋人を作るのにそんな馴れ初めでいいのかと。


なので現状としては、会ってから交際するかどうかを決める
いわゆる街コンがほぼ唯一の選択肢と思っています。要は現代版お見合い。
昔は街コンも全否定していたけど、もはやこの年齢で負け組だとそれくらいしか拠り所がないわけです。
プロフィールベースで決める結婚相談所よりもこちらの方がまだ有望とさえ思っています。
ただ、こうなると見た目勝負になるのが難しいところ。
身だしなみを整えるために準備しなければならないことは多々あり、率直に面倒くさいです。
ただ年内に一度くらいはその面倒くささを乗り越えてチャレンジしたいところではある。
その上で考えなければならないのが、じゃあどういう相手でどういう交際が理想的なのかということ。


恋愛哲学みたいなことを考え出すとキリがなくなってしまうのですが、
「お互いにとって、お互いが道を踏み外さないためのプレッシャーになる」
というのが現時点での自分の考えです。
独身であれば自由奔放であるがゆえにいろいろなことができ、それに対して責任も伴いません。
だからこそ、人知れぬところで道を踏み外してしまうということがよくある。
自分は2022年に仮想通貨に手を出して失敗しましたが、
こういう愚かな行動は恋人がいたらやらないと思うんです。
見られていなくてもその存在自体が「この人の恋人としてこういう行動は相応しくないな」
というブレーキとして作用するわけですね。
このブレーキが良い効果をもたらすのは他にもテレワークや食生活、金銭感覚などたくさんあり、
それはこれまでの経験から独力で改善するのは非常に難しいという認識です。


一人暮らしの独身は誰も見てくれる人が居ないので、やはり誠実さからは遠ざかりがち。
それはある意味自由の対価ですが、自分のような人間にはその副作用があまりにも重すぎる。
仮想通貨のように明らかに道を踏み外したり、自堕落生活に慣れて非生産な日々が続いたり。
恋愛や結婚は、それを解決してくれるのではないかという期待はあります。
もちろんその対価としてある程度自由を差し出さなければならず、
結局それによってやりたいことができないというリスクもあるわけですが。


まあ要は、いままで散々自分の人生を悩ませてきた承認欲求の矛先になってくれるのが望ましいと。
「誰かにとっての自分」を磨き上げるために必要なのが恋人という認識です。
それが自分が恋人に求める唯一の条件と言ってもいいのかもしれません。
もちろん趣味やその他価値観が一致しているに越したことはないし、
趣味のいずれかひとつくらいは語り合えないと末永く付き合うのは難しい気がします。
ただ、いまの世の中ゲームなどのインドア系を趣味とする女子はそんなに珍しくないと思うんですよね。
それよりもこの承認欲求の問題を受け入れてくれる人と出会えるかどうかの方が優先度は高いです。
さらに自分がその人の承認欲求の矛先になれるかどうかという問題もあることを考えると、
これを求めることは結構ハードルが高いと思っています。
もちろん実際に街コンへ参加するたびにこのハードルは適宜修正することになるでしょう。


この辺の考えを同僚との議論によってまとめあげた上で、
街コンに参加するにあたって最低限必要なおめかしについて調べて実践して、
まあ春の終わりくらいまでに1回目の実戦に臨めればいいかなといった感じです。
長年のチャットアプリ経験によると、本当に気が合う人と巡り会えるのは20人に1人くらいの割合です。
学校のクラスに一人はいるという計算で、これは自分の学生時代の経験則にもおおむね一致しています。
2017年に街コンにちょっと参加した経験からすると時間内に話せるのは10人がせいぜいなので、
1回では望み薄で、まず2回は参加してみないと有望な人に出会うことすら難しいということに。
当然、付き合うなんて考えられない変な人とも話さなければならなくなり、
それもそれで不毛な活動ですが……それも逃げられないような段階に差し掛かってしまった以上、
どこかで向き合う覚悟が必要になってくるのかもしれません。


#7323

恋活リベンジの一年になるかも

今日の出来事恋愛観

年間計画に挙げるのはなんか違う感があって元日記事での言及は避けていましたが、
今年は去年年間計画にしていた恋活・婚活の件についても若干モチベが高いです。
去年は年末年始の親戚の集まり(祖父母家帰省)で結婚したばかりの従姉に背中を押され、
それの影響で軽率に年間計画にしていたところがあります(というと非常に他責的ですが……)。
しかし実際、去年は完全にそれどころではありませんでした。
転職したばかりという点で金銭的な意味でも、睡眠の件がまだ解決していないという精神的な意味でも、
そもそも他にやることが多すぎるという時間的な意味でも難しかったと思います。
それに元日時点では背中を押されて一時的に調子に乗ってはいたものの、
年間を通して能動的に行動したいと思えるほどモチベが無かったのも事実です。
結局、去年はそれらしい行動は皆無のまま一年を終えました。


恋愛と結婚についてはここ数年でいろいろ悩んではみましたが、
結局恋愛当事者になってみないと分からないところも多々あるという認識です。
独身風情が結論を出せるような問題ではないということですね。
ただそれを踏まえた上での現時点の考え方としては、
現代の世の中は昔と違って「結婚しない自由」もあり、自分がそっちを支持する側であるのは確か。
ゆえに何も考えずに婚活してしまうとむしろ人生が行き詰まってしまう可能性があり、
その辺を慎重に見極めて場合によっては撤退する覚悟も必要でしょう。
近年までは世代間の価値観の違い(親戚の「結婚しろ」という圧力)とどう向き合うか、
みたいなことを問題の本質かのように捉えていましたが、それはどうでもいいんだと気づきました。
いままでは一年の総決算として祖父母家に行くという風習が幼少期から続いていたので
必然的に自分が親戚からどう見られるかという問題も根強く付きまとっていましたが、
今年、人生で初めて物理的に1人で年越ししたことでその辺のしがらみも吹っ切れました。
あとは、自分がどうしたいかという問題です。


上京以前は実家暮らし&ブラック企業勤め&コミュ障でそもそも論外だったし、
上京以後も去年までは睡眠障害など恋愛の土俵に上がる以前の問題で足止めを喰らっていました。
そういう意味では今年が社会人にして初めて土俵に上がれる1年目なのかもしれません。
年齢的には手遅れも手遅れ、20年遅いのですが……。
まあそもそも真っ当に結婚することがゴールであるとも限らないと思っているので、
婚活というより交友関係をちょっと広げたいくらいの認識でいます。
交友関係については現状ですら結構十分に感じていてあと1人くらいしか増やす余地がなく、
だったら友達よりも異性と付き合った方が充足感を得られるんじゃないか、
というくらいの気持ちです。
なのでもしも今後同性の友達が増えたらそれはそれで満足してしまうでしょう。
こんなスタンスなので、仮に異性のパートナーができたとしても
適切な距離感を保つためにDINKsや別居婚なんかも全然アリだと思っています。
こんなんだからいつまで経ってもパートナー探しに本気を出せないのでしょうか……。


#7252

結婚相手の条件を再考する

今日の出来事恋愛観

2016年当時の恋愛観において、「結婚相手の条件」はブログで次のように表現しました。



お互いの心の深いところを抉り合い、それを認め合えるような関係



いまとなってはこれも欠陥だらけの価値観に思えてきたので、
今日はこれを再定義しアップデートできないかどうかを書きながら考えたいと思います。
ちなみにこれは「理想の異性像」とは全然異なる価値観です。
2015年以前はかなり混同していたように思いますが、従姉の結婚をきっかけに分離しました。
理想の異性像はあくまで主観の話で、こういった客観的な条件や基準が存在しません。


まず、上記の一文は何を言おうとしているのか、
当時の自分の心境を思い出しながら分解してみることにしましょう。
「心の深いところ」とはいわゆる人間性や人格、あるいは性格と言ってしまってもよいもので、
平たく言えば良いところも悪いところも含まれたその人らしさを意味しています。
そして相手の「良いところ」を認められるのは言うなれば当たり前のことであって、
わざわざこういう言い回しをしているのは
むしろ「悪いところ」を理解できるか、理解してもらえるかが重要であるという主張が含まれます。


2011年に8分だけ理想の異性と最後の話す機会に恵まれたとき、
脳内のバックグラウンドでは自分でも信じがたいほど短時間でさまざまなことを考えました。
恋愛に発展できるように働きかけてみるべきか、諦めるべきかという主張が正面激突したわけです。
そしてそれは後者に分配が上がるわけですが、諦めるに至った理由も実にたくさんある中で
「理想の相手だからこそ、その欠点を受け入れられる自信がない」というものがありました。


本来それは欠点を知ってから決断するのが適当で、あの段階での判断は非合理だったとは思います。
実際そのことで後々死ぬほど後悔したこともありました。
連絡先を聞く勇気くらいは持つべきだったんじゃなかろうかと。
一方で欠点をまだ知らない段階で身を引いたからこそ理想の異性像を永久保存できたという点では、
片想いの幕引きとしては正しい判断をしたとも思っています。


これは「恋愛は鏡である」という前提も反映しています。
つまり、相手から見た自分も相応に魅力的でなければ恋愛は成り立たないということです。
当時は自分の人生でもっとも堕落していた4年間と言っても過言ではありません。
もし社会人になってから出会っていたらまず間違いなくアタックしていたでしょう。
それくらい当時の自分自身が欠点だらけだったので、
理想的な相手だからこそ欠点だらけの自分を受け入れてもらえる自信がありませんでした。
というより、受け入れられると考えるのはあまりにも自分勝手です。


人としての価値が大きく異なっているのに恋愛が成り立つのは漫画の世界だけで、
現実社会では好みの異性を理想とする恋愛思想に大きな矛盾があるという事実を否定できません。
どんなに本人の希望が尊重される個人主義の世の中だとしても、
「引きこもりだけどアイドルと恋愛がしたい」というのは不遜だと思います。
言い換えれば、欠点の量的・質的な問題はそれが相手の持っているものと釣り合っていれば、
それはそれでカップルとして適当だと言うこともできます。


ただし、それはお互いに欠点を曝け出し受け入れられる心構えが必須になり、ここに高いハードルがあります。
「抉り合う」という表現をあえて選んでいるのは、
相手の欠点を受け入れることは相手をも傷つけ得るリスクのある行動であることを示唆しています。
そこを乗り越えてようやく相互理解が成立する余地があり、それこそが結婚の条件に不可欠なのではないかと。


他者を理解することは難しく、恋愛の相手であれば理想との引き算もあってなおさら難しいでしょう。
ゆえに、それはまず間違いなくかなりの時間がかかります。
好きになったというのはきっかけであり、告白はチュートリアルの終わりにすぎません。
むしろそこから関係性を成熟させられるかどうかが肝要であるわけです。
これは、時間をまったくかけない恋愛を思想的に否定しているという意味でもあります。


2016年の自分は周囲の恋愛する人に対し少なからず嫉妬の感情があり、
嫉妬を正当化するために周囲の恋愛する人を批判するための材料を必死に探していた節があります。
それが、


  1. 恋愛には相互理解が必須
  2. 相互理解には長い時間が必須
  3. 短時間で結果を求める人は間違っている

というような三段論法に至り、そこから導いた理想の恋愛像が冒頭の一文に込められているのだと思います。
当時、高校時代のクラスメイトが高校時代にまったく話もしなかった同じクラスメイトの女子と
偶然会ったことだけをきっかけに付き合ったという出来事があり、
それに対して恋愛に対して軽率すぎると非常に嫌悪感を抱いたものでした。
その後、1年も経たずに別れたと聞いて「ざまあみろ!!!!」と心の中でガッツポーズしていました。


まあでも、いまにして思えば恋愛っていうのはそういうものなのかもしれない。
付き合ってからその先、相互理解を積み上げる段階でどうしてもうまくいかないというのはよくある。
それは実際に付き合ってみないと分からないわけです。
馴れ初めを最重要視して、付き合うことができればゴールみたいに考えているのは
典型的非モテの恋愛弱者的な考え方に過ぎないということなのでしょう。
下手な鉄砲を撃つのが良いとは言いませんが、この考え方だとある程度の場数は当然必要です。
自分も2011年の出来事は奇跡だと思っていますが、人生こんなことそうそうあるわけないし、
ごくまれな奇跡からたまたま相互理解の成熟まで行くのを前提とするのは非現実的です。
初恋の人と結婚できる確率は約1%と聞いたことがありますが、
まあまあリアリティのある数字なのではないでしょうか。


高校時代に歯牙にもかけていなかった女子と大人になってからたまたま会っただけで付き合ったのは、
いかにもがっつき過ぎで印象が悪いのは確かです。最近の言葉で言うとヤリモクというやつでしょうか。
しかし、そういう姿勢を全否定してしまったら恋愛成就の可能性が限りなくゼロに近くなるのも事実。
初恋の人と結婚できない確率が99%なのに世の中が成り立っているということは、
世の中の既婚のほとんどは初恋の人でない相手をパートナーに選んでいるという現実があります。
こう考えると出会いに関してはあまり潔癖を求めるべきではないのかもしれません。
だからこそお見合いや結婚相談所というサービスが成り立つのでしょう。


むしろ恋愛関係において重要なのはそこから先、お互いを受け入れられるかどうかであるわけで。
マッチングアプリのような習慣が受け入れられている以上、
付き合う相手が好きでならなければならない、というのは幻想でしかありません。
極端な話、恋愛=好きな人とする、というのがそもそも理想論でしかないわけです。
もちろん嫌いな人とは付き合えないし、
好きな人ほど受け入れる余地が最初からあるということなのでそれに越したことはないわけですが。
相手が理想的かどうかということと「抉り合い認め合えるかどうか」は本質的にまるで違うということです。


こうして考えると、2016年時点のスローガンはあながち間違っているわけでもないのかも。
馴れ初めよりも相互理解、特に相手の欠点を受け入れ自分の欠点を受け入れてもらえるかどうかが肝要、
という考え方は恋愛結婚の本質からはそんなにズレていない気がします。
ただそれを根拠に短絡的な馴れ初めを否定できるわけではないので、
そこだけは間違っていたと思いますが。


ただ、そうなると2011年に片想いを諦めた決断は間違っていたことになってしまいます。
相互理解のステージに進まなかったのは分不相応だからという言い訳をずっとしてきましたが、
「相手のことを理解したいほど好きじゃなかったのか?」と言われるとぐうの音も出ない。
その意味で2011年の体験はそもそも片想いというより宗教体験的な何かだったのかもしれません。
自分のものにしたいとか、相手を理解したいとかそういう気持ちよりも、
その存在があまりにも神々しくてただ近づいただけで満たされていたという感じ。


#7163

不誠実な人の恋愛欲求

今日の出来事恋愛観

以前、人生でどうしても許容できない(嫉妬してしまう)2人を挙げ、
それらの共通点はなぜなのか、そしてなぜ自分は嫉妬してしまうのかを考察したことがありました
#05885 / 2020年01月30日)。
それの結論としては、挙げた2人は自分の思い込みが作り出した「仮想敵」にすぎず、
嫉妬の本質は自己ルールを否定できない自分自身に対する失望にあるのではないかということでした。
もう少し補足すれば、競争原理では自分は彼らよりも人として優っているという自負があったので、
それに負けてしまったという事実を受け入れられない……と言ったところでしょうか。


2023年現在の自分は、そもそも嫉妬のメカニズムの根幹である競争原理を否定する立場にあるので、
改めてその2人を思い浮かべても2020年当時のような嫉妬感情は生まれてきません。
ただ、その2人のやっていることが自分の価値観に反するのは事実です。
さすがにもう彼らや彼らを知る人がこの記事を直接読む機会は99.9%無いと思うので、
具体的にどういうところが価値観に反するのかを書いてしまいましょう。


1人目は、高校時代のいじめられっ子です。
彼は学業が絶望的だったことはもちろん、あらゆる面で人に劣っていました。もちろん容姿もです。
社会人生活も当然うまく行かず、職業訓練を経て製造系に勤めているという噂を聞いたのですが、
あるときに退職代行サービスを使って退職したと聞いたのでいまは無職かもしれません。
ただ、そんな彼にも彼女がいるそうです。それを聞いたときかなり耳を疑いました。
頭は悪い、仕事もできない、趣味も無い、誰が見てもブサイク、性格も悪い、けど彼女はいる。
そんなことってあり得るんだろうかと。
どうやら20代中盤にブランドものなどを買い漁ってファッションをいくらか改善し、
ガールズバーなどでのコミュニケーション経験を経て街コンに参加することでお相手をゲットしたようです。
その縁がまだ続いているのかどうかは知りません。続いていたら年齢的に結婚してそうです。
それを聞いたとき、もしかしたら何も持たない底辺だからこそ
逆転ホームランになりうる恋愛に十分本気を出せるのかもしれないと思ったものです。
都会でバリバリ働くサラリーマンほど相手に恵まれない一方で、
地方の不良たちほど非常に早い段階で結婚して子どもをたくさん作っているのはよく聞く話。
まあ、社会不適合者である彼に同居生活や子育てができるとは思えないですけどね……。


2人目も同じようなもので、人としてダメダメだけど恋愛だけは成功したと言うパターンです。
こちらは嫉妬関連を抜きにして非難に値することをした悪い人なので、
その文脈でまた後日改めて紹介したいと思います。


自分は以前、現代日本の自由恋愛は優生思想そのものだと批判しました。
つまり人として優れている方が恋愛市場では有利であるというのはれっきとした事実だろうと。
逆に言えば人として劣っていると恋愛市場からは弾かれるようになっている。
もちろんあらゆるケースがそれに当てはまるとは言いませんが、
そういう価値観は根強くあると思います。
昔はそれとは違う文脈で「お見合い文化」なるものが存在し、
適齢期になったらとにかく誰かと結婚して身を固めないとダメという風潮が強くありました。
だから容姿で勝てない人たちもお見合いで半ば強制的に結婚することになった。
しかし個人主義が強い昨今はそれもありません。良く言えば結婚しない自由が認められているわけです。
女子側も相手を選ぶ権利があるという文脈で考えると、
競争社会で劣っている男性が結婚する見込みは非常に少ないし、それは統計でも明らかです。
その方が生物としては自然なことなのかもしれません。


その優生思想的自由恋愛の文脈からすると、弱者男性は本来無条件に弾かれるような存在です。
もしそれでも恋愛市場に参加したかったら、
まずは社会的ステータスを上げる、プライベート面での活動を充実させる等々、
異性に認められるような資産を用意しなければなりません。
ある程度ステータスが上がったところで改めて相手を探しに行くのが人として適切かと。
彼らの場合は順序が逆なんですよね。
まともに就職もできないようなステータスなのにガワだけ盛って恋愛市場に突っ込むのは、
ある意味恋愛市場における詐欺行為です。騙された相手はさぞ無念でしょう。
仮にそれで表面的にはうまく行ったとしても、
結婚という取り返しのつかない段階に至ったらさまざまなことが破綻するのが目に見えています。


まあ、これらの批判も結局自分が恋愛に本気になれないことの自己正当化に過ぎないんですが。
そもそも恋愛市場には年齢制限があるわけで、順序がどうのと言っていられない事情もあるでしょう。
年齢的に手遅れになった自分が彼らを批判できる道理は無いのかもしれません。悔しいですが。


ただ自分個人としてはやはり順序をひっくり返してまでやろうとは思わないし、
そういう意味でやはり彼らとは相容れることはないと思います。
そして少子化時代と言われているのは、自分のような考え方の人が多い証左なのではないかと。
自分が順当に社会的ステータスを上げるために仕事や趣味に打ち込んで恋愛どころではない中、
そういう過程をすっ飛ばしてただ欲望に正直に走る彼の生き様を認めてしまったら、
いままでの自分の人生はなんだったんだということになりかねないので。


#7131

婚活の損得勘定

今日の出来事恋愛観

自分の中でかなり揺れている「一度でいいからガチで婚活をするべきか、
それとも生涯独身を貫く覚悟をするべきか」という問題。
人生を左右する非常に重要な問題であるとともに、
問題の性質上決断するなら可能な限り早い方がいいということもあって悩ましいです。
ただ、率直な気持ちを言うと現状では生涯独身を受け入れる方が優勢です。
やはり誰かと結婚するというのは諸々の面から考えてハイリスクである一方、
独身であることのメリットはそれを上回っているような気がしてなりません。


こうやって損得勘定で結婚について考えていると必ず言われるのが、
「いまは良くても、もっと歳を取ってから『やっぱり結婚すればよかった』と言っても遅い」
というような意見です。
今日、Twitterのサブアカのタイムラインに、
「趣味があるから結婚しなくていい、と言う人は40代になってから『趣味を楽しめなくなった』
と言って結婚相談所に来る人が多いことを知っておいた方がいい。
趣味は40を超えると急に楽しめなくなる日が来る」
というような趣旨のバズツイートが流れてきました。
これは独身界隈への忠告として昔からネットでよく見かける意見です。


もちろんあらゆる人の趣味が40を超えると衰退していると言っているわけではないのでしょう。
趣味も千差万別、若いときにしかできないこともあればそうでないこともある。
それを込みで、「でも自分だけは大丈夫」と考えているのが危ないんだよというアドバイスかと。


自分も「自分だけは大丈夫」と思っている側の人間と自覚しています。
年単位で見れば各年で流行り廃りはあるものの、人生全体で見ればたいてい何らかの活動はしている。
確かに個々の意欲で言えばゲームは思春期ほど楽しめなくなったのは否定しがたい事実ですが、
一方で仮想通貨や先日ブログでの言及を改めて解禁した萌え絵の趣味など、
大人になってからの方が夢中になっている趣味も多くあります。
web制作にいたっては趣味の延長として仕事としてもやっている始末です。
最近の活動量を鑑みると、仕事抜きで考えてもとても飽きるとは思えません。
このうちゲームとweb制作については
「ピクミン」という趣味で繋がったコミュニティとの縁がまだ切れていないことも大きいです。


趣味は他者交流の入り口にもなる可能性を秘めています。
そしてそれは、言ってしまえば結婚をする理由であるところの「孤独感」を解消できる余地がある。
ここに趣味が充実している人が婚活をしない理由がある気がします。
ただ、趣味のコミュニティに入るということは必ずしも誰もが簡単にできるわけではありません。
関連活動を何もしていないのにそのコミュニティに所属するのは無理があるし、
無理やり入ったとしても誰も絡んでくれないし、
仮に絡んでくれたとしても長期的には本人が楽しめないでしょう。
コミュニティでの人間関係は、そこで活動をするという努力が支えている節があります。
優秀な下の世代がどんどん台頭してきて高いレベルについていけなくなる、
というのは競争社会がベースになっているような趣味では十分考えられることです。
そこで挫折したら趣味が無くなって、趣味の無い人生に生き甲斐を見いだせなくなる可能性はあります。


ただ、じゃあそういう人間が婚活をして幸せになれるのかというと微妙な気がする。
家庭を築くことも少なからず相応の努力が必要だと考えられるからです。
そりゃあ何もしなくても全部やってくれる嫁がいれば解決できるかもしれないけれど、
そんな都合のいい人が嫁いでくれる可能性のある人は1000万プレイヤーのイケメンくらいでしょう。
結局夫婦も持ちつ持たれつで運営しているところがあり、
その片棒を担ぐ以上はさまざまな努力は不可欠なわけです。
それを趣味に挫折するような人間ができるのかというと……。
冒頭で取り上げたバズツイートの「警告」の趣旨はそんなところではないでしょうか。


だからまあ……要するに趣味も挫折するような体力、精神力では人生は長すぎるのでしょう。
ヒトの寿命が50年くらいだったらこんなことに憂う必要は無かったのかもしれない。
とはいえ、だからと言って趣味に挫折したら自殺すればいいというのは無茶な暴論です。
このことから考えるべきなのは、
体力と意欲が低下しても維持できるような中年以降のための生き甲斐を探すことでしょう。
個人的な予想では、体力と精神力の低下を埋め合わせるのは「お金」だと思っています。
体力、精神力に加えてお金も無かったらそれはもう悲惨としか言いようがない。


そもそも趣味も結婚も少なからず体力を必要とする、という前提で考えれば、
結婚というのはそういう意味ではむしろ大きな体力と精神を必要とする部類であるため、
30代になってから婚活すること自体がおかしいような気がしないでもないです。
要するに就活や大学受験と同じようなものなのでは無いかと。
そう考えると自分はもう「手遅れ」というのが結論になるわけですが……。どうなんだろうか。


#7126

恋愛観のジレンマ

今日の出来事恋愛観

前々から気になっていた恋愛観についてちょっと考えてみたいと思います。
将棋少年が主人公の『3月のライオン』という漫画では、
主人公(高校生)が居候する家の3歳年下の女の子に自分でも知らず知らずのうちに惹かれていき、
あるとき居候先の家庭問題をきっかけに恋愛をすっ飛ばしてプロポーズをします。
それを知ったタイトル保持者の雷堂棋竜が、軽率な結婚を戒める台詞として放つのがこちら。



初めて付き合ったクセに「この人しかいない!!」なんて
そんなの 誰でも良かったって言ってんのと同じだーーーーーっっ!!



(羽海野チカ『3月のライオン』11巻 Episode.109「大阪③」)


果たして、これは正しいのでしょうか?
初恋を否定されているような気がしてなんとなくモヤモヤするような気がします。
まず、初めて好きになった人を「この人しかいない!」と思うのはごく自然だと思います。
思春期ならなおさらそうでしょう。


ただそれが「誰でも良かった」と言えるのかどうかについてはさまざまな考え方がありそうです。
それが正しいとして、それが善いことなのか悪いことなのかについても同様です。
間違っているとしても、それぞれに善いとする意見と悪いとする意見があるでしょう。


「正しい&善い」と言えるとしたら、
それはそもそもヒトが持つ異性を敬愛する心を信頼できる場合ではないでしょうか。
恋愛は本来あくまで個人間の関係性であり、
他の異性と比較するということはパートナー選びの本質には関係ないことで、
比較している時点で「恋愛している自分」をできるだけ盛りたいという打算的な考えが根底にあり、
初恋のようなまっすぐな恋愛感情とは関係無いということです。


「正しい&悪い」と言えるとしたら、それは恋愛には負の側面があるということを知っている場合です。
付き合って最初しばらくはお互いに良い面しか見せないし、見えない。
しかし年月が経てば許容し難い欠点がボロボロと出てきて、それを受け入れられるかどうかが問われる。
また恋愛に浮き足立っていた時期が過ぎれば冷静になり、相手に対する評価も変わってくる。
そういう深いところまで経験していないのに結婚を考えるのは浅はかだという意見です。


「間違っている&善い」と言えるとしたら、
そもそも異性は選べるものではないという考えではないでしょうか。
自分の本意とは関係なく、成り行きによって巡り合う。
その人は必ずしも理想の異性ではないわけですが、結果的に「この人しかいない」状況になりうる。
「誰でも良かった」と言えるのはあたかも能動的に選んで決めている印象がありますが、
世の中の結婚の形は必ずしもそうとは限りません。


「間違っている&悪い」と言えるとしたら、
そもそも「誰でも良かった」と言わないためにはあらゆる恋愛を経験する必要があり、
それは突き詰めるととんでもないステータス至上主義になってしまいます。
また、その考え方は一夫一妻制の結婚にリスクを感じているからこそあるもので、
これを肯定するということは少なからず不倫や浮気を肯定することにもなりかねないのでは……と。


別に自分が結婚について偉そうに語るつもりもありません。
こういう微妙な問題は各視点から場合分けして考えるといろいろな考え方ができて面白いという話です。
本気で議論したいテーマについては、各方面からの意見をこうやって書き出す癖をつけたいものです。


ちなみに自分は、現時点では「正しい&善い」派に入ると思います。
初恋の相手はおそらく一生忘れないしいまでも出会った異性の中で別格の位置にいますが、
それと結婚相手としての理想はまったく別々に考えています。
「この人しかしない!!」という気持ちは否定しないが、
絶対成就しないので結婚は別問題として切り分けざるを得なかったということですね。
その後者の理想的な相手は、自分の人間観が十分成熟すれば究極的には「誰でもいい」のかもしれません。


前へ1 / 4次へ