まのさばRTA炎上事件
執筆時点で元ツイは消えており、すでに鎮火した炎上事件について書き残すのは若干大人気ないのですが、
わりと考えさせられる一件だったので書かせてください。
03月17日ごろ、『魔法少女ノ魔女裁判』(PC版)というノベルゲームのファンでRTAに挑戦している人が、
「このゲームはロード時間がPC性能に依存しており、その性能差で10秒近くのタイム差が出てしまうため、
ロード時間を省いた時間を最終リザルトとするRTA動画を投稿することにした」
というような趣旨の投稿をしたところ、RTAに詳しい人たちから
「RTA(Real Time Attack)はその名の通りタイマーストップしたものは認められず、
ロード時間を省いたものはLRT(Load Removed Time)と呼ばれている。
計測方法はLRTなのにRTAを名乗るのはおかしい」というような反発が起こりました。
これに対し最初の投稿者は「プレイ環境でタイム差が出るのは競技としてそもそもおかしい。
私はなんと言われようともLRTをRTAと呼称することにする。
一般人はタイムアタック=RTAという認識なのだから、LRTと名乗っていてはインプレッションが見込めない」
というような主張を展開しました。
この時点で投稿者はLRTというものが何なのかも知らなかったそうで、
さらに言えばSpeedrun.comの当該タイトルはすでにRTAとLRTでカテゴリ分けがなされています。
それを知らない時点で、RTAに関してあまりにも無知という他ありません。
しかしnoteに書いた内容が「詭弁はやめろ。私は断固としてLRTをRTAと呼ぶ。私はRTA界隈に一石を投じている」
というような火に油を注ぐ保身的な発言で塗り固められていたため、炎上がヒートアップしたという感じです。
RTAは文字通り「(ゲーム内のTAとは違い)リアルタイムを競う」という大義がそもそもあり、
タイマーストップという行為自体がそうした文化の憲法に反するのは事実です。
しかし一方、実はRTA界隈では個別の事情によってすでに事実上のLRTがRTAとして通用するタイトルもいくつかあります。
『Celeste』や『Minecraft』など、RTAのプレイヤーが多くミリ秒単位で競われているタイトルですね。
これらは研究が進んでいてプレイヤーも多いのでプレイスキルで縮められる余地が小さく、
ロード時間を入れるとプレイ環境がタイムに大きな影響を与えてしまうのでLRTにするのは妥当だと思います。
そしてノベルゲームもプレイヤーは少ないとはいえ同じような事情を抱えているので、
真面目に競技性を取り入れたいならLRTにすべきという投稿者の主張は実は何も間違っていません。
(当然、LRTを競技にするならタイマーストップ区間をフレーム単位で計測する必要があるわけですが……。)
唯一悪手だったのは、この投稿者は1本目のnote投稿で誹謗中傷してくる人への対応として
「ストローマン論法や早まった一般化は詭弁なのでやめてください」と誤謬についての解説をしたにも関わらず、
投稿者自身が「RTA界隈はLRTもRTAとして呼称することを認めるべき」という、
まのさばRTA以外のRTAに対する問題提起とも取れる発言をしてしまったことです。
ノベルゲームのRTAであればLRTは妥当かもしれませんが、
基本的にRTA走者は環境を揃えることも含めて妥協しない姿勢が求められる風潮があるのは確かで、
仮に海外版の方が早いなら海外版を手に入れるといったことはRTA界隈の常識として考えられています。
そういう共通認識をも無視してLRTの方が妥当に見えるノベルゲームの事情をRTA界隈全体に言うのはさすがに無理があり、
これこそ過剰な一般化に陥ってしまっているという残念な論理的矛盾があります。
要するに、主語がデカすぎたと。
今回もっとも印象的だったのは、
本当にRTAと向き合っている走者ほど「まあ好きにすればいいじゃん?」と冷静に見ていたのに対して、
投稿者に「それは間違っている」と突っかかっている人のプロフィールを見るとほとんどが部外者らしい人だったことです。
この炎上は側から見ると「RTAを誤解している人 vs. RTA界隈」というような構図にしか見えず、
それをもってRTA界隈を冷笑しているような勘違い第三勢力もいます。
しかし蓋を開けてみると多数派に見える意見は当事者(走者)の意見ではなかったということです。
RTAの事情は知っているがCelesteなどの個別具体的な事情は知らないにわかファンといったところでしょうか。
まあ中には走者として苦言を呈している人もいたかもしれませんが、少なくともそれは多数派ではなかったと思います。
「イジメはいじめられる方にも原因があるという事例の見本のような炎上」と言っている人がいましたが、
確かに炎上の本質はイジメに近いのかもしれないと改めて思うとともに、
この手の多数派は正しいかどうか以前に当事者ですらないこともあるのだという視点を得られたのは収穫だったと思います。
炎上に対する見方がまた大きく変わった一件でした。