時間の浪費感
緊急入院を経て改めて実家帰省をして思ったのは、実家帰省は入院生活に似ているということです。
まあ親に言ったら失礼なのでここにしか吐露できない話ですが。
要は時間に対するものすごい浪費感があるんですよね。
昨日と今日は何も変わらなくて、明日も明後日も変わらないんだろうなという無言の支配感が実家を制圧している。
いつも実家に帰ると「2006年に戻ってきた」という感覚があります。本当に20年前から時間が止まっているんです。
そこで主観的に進展を望める何かがあるとしたら、それはインターネット上の活動やゲームくらいしかない。
自分はやはりこの環境で思春期を過ごしたからこういう性格になったのだという納得感がすごいあります。
いやいや一人暮らしだってそうじゃないかと思われるかもしれません。
実際、一人暮らしもそういう側面はあります。ネット活動を除いたら日々進展している物事は決して多くない。
じゃあ実家帰省になるとなぜこういう「時間の浪費感」を感じるのかというと、
こうして過ごしている日々が他人との同居生活として組み込まれている不自由さにあるんだろうなと。
改めて書きますが、自分は母親以外との家族仲は決して良くはなく、
また自室が無いこともあって実家環境はおそらく一般的に考えているような環境ではありません。
そこに本当の意味のプライベートなどというものはなく、
本来プライベートでないような場所を探して陣取って仮初のプライベート的な空間を確保してきました。
ゲームという共通文化が家族の中心にあった2017年まではそれでもそこに嫌な感情はありませんでしたが、
それぞれがまったく違う文化に歩んだ2018年以降は常にどこか居づらさを感じています。
2019年というタイミングで上京したのはそういう家庭内環境の悪さも大きな要因でした。
それでも作業する分には支障はないし、
親と話せればとりあえず問題ないと思っているので上京後もこうして定期的に帰ってはいるわけです。
ただ、それでもVTuberの配信垂れ流しとか、誰かと通話といったようなことは確実に制限されます。
この「許容できないほどでもない絶妙な不自由さ」が、冒頭の時間の浪費感につながっているのかなぁ、と。
自分が生活の全部を掌握できない気持ち悪さと言うべきか。
これは同じ時間の連休を東京で過ごしたら充実させられるか否か、というような話でもないんですよね。
作業自体はまあまあ順調で、順調すぎてAIのトークンが足りないくらいです。
この実家環境はかなり特殊だと思っているので、
これをもって自分は一人暮らしの方が向いている、誰かとの同居はできないと断定できるわけでもないでしょう。
あるTwitter漫画家が「誰かと一緒にいることの『束縛感』は、本当に気を許せる人となら同居していても感じない」
という実感を結婚前後の比較で懐古している漫画を描いていましたが、
やはりこの辺は他人との相性ありきなんだろうなとは思います。
ただ少なくとも言えるのは、そう言う意味での相性が悪い人との同居は言ってしまえば地獄であり、
一人暮らしよりもはるかにQOLを落とすであろうことは間違いないということですね。
そう言う意味でも単身は無難で低リスクではあるんだろうなぁ……。