Chrononglyph

意欲の問題

#7673

週間計画のスランプ

今日の出来事意欲の問題

ヤバい。ダンドリ検定落選の辺りから何もできていない……。
正確には、落選によって打ちのめされた時点では何かをやらねばという気持ちはありましたが、
その後リフレッシュを目的とした実家帰省をきっかけに崩れた感じですね。
実家帰省終了直後は実はいまにしてみればかなり自律神経など諸々が乱れていました。
いま、やっとそれを自覚し「まあまあマシになってきたかな」と思えているような段階ですが、
カレンダーはもう12月下旬に突っ込もうとしています。どうすんのこれ。


この現象は年初の実家帰省にかなり似ています。
あのときは、行きは能登半島地震による新幹線の運休、帰りは在来線の乗り間違え&遅延による終電逃しと、
行き帰りでトラブルが連発しました。当時はそれが原因で自律神経が乱れ、
以降数ヶ月にわたってプログラミング系作業ができなかったのはそのせいだと振り返っています。
当時は実家帰省中はガッツリとプログラミングしていたので、その時点で火は消えていなかったと思われます。
しかしその後ぱったりとコミットが途絶えており、復帰までに丸一ヶ月ほどかかっています。
また、02月に多少のプログラミング系作業はできているものの、
03〜04月は作った機能がまるまるボツになるなどのわかりやすい迷走をしていました。
まぁこの辺は仮想通貨がアツかったことや年度末繁忙期の影響も多分にあると思いますが……。
結局これで『ピクミン2』の20周年に何かやる、という当初の目標は達成できなかったわけですね。
本当に歯車が噛み合っていると実感したのは06月になってからです。


01月の実家帰省だけがのちの5ヶ月間の迷走の直接的な原因とは考えにくいですが、
とはいえ最初の1ヶ月間に何もできなかったのは実家帰省が原因の可能性は否定できません。
そして11月はまさに同じようなことが起きていたというわけです。
こう考えると、年末年始に実家へ行くのもちょっと考えものかも……?


まあ、実際には自分は実家帰省関係なくパフォーマンスが極度に下がる周期が必ずあり、
だいたい冬季はパフォーマンスが低い傾向にあるので、今回もそれである可能性は否定できないんですけどね。
こういうときの兆候として、週次のタスク管理からして雑になりがちというものがあります。
タスク管理が適当なので、マストなタスク以外は「やらなければならない」と切迫することすらないという。
これはタスクありきで行動してきたことによる副作用ですね。
逆に言えば、意識して週間計画に集中することでこのスランプから脱出しやすくなるのかも。


#7651

体力低下を実感

今日の出来事意欲の問題

なんというかシンプルに体力の低下によって精力的になれない感じがします。
一昨日からオフィスビルのラウンジを退勤後の作業スペースに使ってみることにしてみたんですが、
これ以上無いくらいに整った環境なのに不思議と集中できないんですね。
一昨日はそれでも時間相当の作業はできたのですが、昨日は軽食まで確保したのにダメ。
やることもかなり明確で、今週は明らかに需要のあるタスクを抱えており頑張る理由も十分あるはず。
作業環境としては最高の一言で、ここまでお膳立てしても集中できないとなるとやはり環境が原因とは言いにくい。
あるいは、お膳立てすることが良くない可能性もありますが……。


欲求不満が溜まっているから、と言われれば否定はできません。
えてして不満が溜まれば溜まるほどさまざまな領域に首を突っ込んでは中途半端に陥り、
それゆえに優先順位も定めにくく個々の物事に集中できないというのはある。
特に自分の場合、ブログという日常タスクとその時々にやるべきシーズン固有のタスクとの両立が求められていて、
ブログの方が消化不良に陥っているともう片方に着手しがたく、
かといってブログに対して意欲的になれないと八方塞がりになってしまうという問題を常に抱えています。
今回はどちらかというとブログの短期低迷期の真っ只中だったのでこれが原因の可能性はありそう。
とはいえ、それではブログが原因と言わざるをえなくなってしまいます。


結局何もかもが中途半端で、「これさえやっていればいい」というものをある程度持っているにも関わらず、
それに集中できないという情けない状態に陥ってしまっています。
最近はカフェも全然集中できなくなってきており、自分自身の陳腐化がどんどん進んでいると感じます。
これはもう、作業環境の変更やタスクの細分化などといった小手先でどうにかなる問題ではない気がする。
となると、あとはもう疑えるのは身体的な問題くらいしかないんですよね。
で、加齢のせいという結論にしてしまうとどうしようもないので「体力のせい」と言うしかなくなる。
しかし、果たして本当に体力不足だからなのでしょうか?


確かに2024年に入ってからは例の脂肪肝の問題で食は細くなっていたのは確かで、
単純にエネルギー不足に陥っている可能性はあると思います。
たまにチートデイを設けて少し様子見してみるのもいいのかもしれない。
食べ過ぎは短期的にはめちゃくちゃパフォーマンスが落ちるのは確実ですが、その後は果たしてどうなるのか。


にしても、このまま無気力が当たり前になってもいいように人生設計を下方修正するべきか、
それとも無気力は悪として体力を戻すことに注力するべきか、果たしてどちらが正解なのだろうか。
つくづく思うんですが、自分と同じような性格の少し年齢が上の人の話を聞きたいですね……。
これまでにそういう人と接する機会はありそうで無かったような気がする。
微妙に違う性格の年上や、似た性格の年下と接する機会はかなりあるのですが……。


#7631

やる気は内発的動機づけ?

今日の出来事意欲の問題

前年度末当時、去年夏から参画していたノンプログラミングの現場を契約更新せざるを得なくなったとき、
このままではキャリアプランが破綻するのではないかと心配して相談したことがありました。
「君は趣味でもweb開発をしていると言うし、それをしている限りスキルアップ面は問題ない」
と断言するキャリアアドバイザーとあれこれ議論したことがありました(#07371 / 2024年02月21日)。
自分が「趣味はモチベありきでやっているので、モチベが出なければ成果が出ない日が続くこともある。
モチベが枯渇した場合に全く進まないそれを実績と言うのはやはり無理があるのでは」というような主張をすると、
アドバイザーは「モチベを捻り出して活動していること自体が素晴らしいという考え方もある。
なぜなら仕事というものはやるべきことをやっているだけで、そこに本来やる気は必要ないからだ」
というようなことを言い、
前半の主張はともかく仕事にやる気は必要ないという視点が自分にとっては斬新だったという印象があります。


また、先月中旬にはTwitterでバズった
「やる気は存在しない」という言説に反論したことがありました(#07611 / 2024年10月18日)。
「やる気が出たらやる」という文脈でのやる気というのは言い訳にしかすぎず、
本当にやる人はやるべきことをシステム化しているのでそんなことをそもそも考えない。
本来やる気というのは初めてみてから「もっとやろうかな」と思うエンジンのことを言うのだと。
自分はこの言説に対して、その場合の「やる気が出たらやる」は言外の要求に応えるつもりはないという方便で、
そもそも本人の能動的な意志が内在しなければそこにはやる気は文字通りに「無い」のだと書きました。
ここでいうやる気とは気分的な何かではなく使命感や社会的責任を背景にした自律的、能動的な行動力なのではないかと。
そしてその意味のやる気は存在すると言えるのではないかという話を書きました。


実はこれらの話は社会心理学では「外発的動機づけ」「内発的動機づけ」というキーワードで説明できます。
外発的動機づけとは、ざっくり言えば報酬があるからとか叱られたくないからとかといった、
「外部」の要因によって左右される動機づけのことで、
基本的に当ブログで「やる気」「モチベ」と書いたときはこの意味で使っていることの方が多いと思います。
つまり、必ず目的がありそのためにしている行為であるということ。
上記のweb制作の話もまさに、趣味におけるweb制作は外発的動機づけによって存続しているのだと認めています。


一方、内発的動機づけによる行動はいわばそれ自体が目的で賞罰の有無に依存しません。
つまり、単に知的好奇心などによって「それをしたいからする」というのが内発的動機づけです。
このブログでも「能動的行動」「自己満足」等のキーワードで近い概念は登場していたと思います。
キャリアアドバイザーの言っていた「仕事にやる気は必要ない」というのは、
やる気とは内発的動機づけであるという前提を踏まえるときれいに理解することができます。
仕事は給料や社会的責任など外発的動機づけがきわめて強いので内発的動機づけは必要ないということですね。
もちろん、賞罰に依存しない内発的動機づけを持っている人の方が「強い」のは確かですが。
やる気は存在しない云々のくだりで言っている「システム」というのは、
賞罰を適切にコーディネートして外発的動機づけによってのみ行動するものと割り切る、というような解釈もできます。


こうして考えると、自分は当初内発的動機づけによって興味を持った文化を
いつの間にかリターンを得るための手段にすり替え、
外発的動機づけによってしか進めなくなってしまったケースが多いように思われます。
いろいろな趣味がそれに当てはまりますが、最近とても低迷しているコンシューマーゲームなんかはまさにそう。
幼少期はただゲームが楽しいからやっていたのだと思いますが、
2007年の動画サイト黎明期辺りから外発的動機づけによってしかやらなくなり、
いつしかゲームをするという行為自体が賞賛を得るための道具にしかなくなっていたのだとすると……
まあこんなふうに衰退するのも当然だよなと。


ただ、こうした単純な切り分けは危険で、
ゲームをすることも当初から外発的動機づけが皆無だったわけではないでしょうし、
同じように2007年以降も内発的動機づけによってゲームをすることがゼロだったわけではないと思います。
最近だとソロプレイ回帰がそれですかね。まあ、あんまり勢いが無いのは確かですが……。


ちなみに内発的動機づけの原理のひとつとして有能性、
つまりそれができそうだからやりたいという欲求があるそうです。
「自分は有能なので、きっとこれならできるだろう」と思うということですね。これは確かに納得感がある。
そしてこの考え方は自分の無能性を積極的に受け入れようとする昨今の自分の思想と真逆であり、
この辺はもしかしたら昨今の意欲低迷の鍵を解くヒントになるのかもしれません。
直感的には、無能性を受け入れようとするというのは
これまでに自分も有能感によって「きっとこれならできるだろう」と思うことはあったものの
その見通しがあまりにも甘すぎて挫折する経験が多すぎたので、
自分の有能性に対する信用を損なったのだと理解しています。
なのでいまはそれを矯正しようとしている段階なのではないかと。


こうなると「自信」とか「自己肯定感」とかといったワードも見え隠れしてきますが、
それらは実は内発的動機づけを適切に行使できるかどうかを評価する概念だったのだろうか……?


#7611

やる気は存在するのか

少し前に、「『やる気は存在しない』というのはマジでその通りだと思う」と添え、
以下の引用を切り抜いたツイートが12万いいねを稼いでいました。



よく「やる気ってどうしたら出るんですかね」なんて、よく分からない質問をしてくる人がいます。
多くの人は、やる気というのは行動を起こす原因だと勘違いしています。
実は、やる気は行動の原因ではなく「結果」です。だからやり始めない限り、やる気はでません。
やる気が出たから走るというのはダメで、まずその日走り始めることが大切なんです。
そうすると走りながら「じゃあ、もっと走ろうかな」と思ったりする。これがモチベーションなんです。


これは学校の成績をおいても同じです。
モチベーションを待っている人は、できない人。できる人ほどシステムに従います。時間が来たから始めるとか。
「やる気」という単語は、できない人によって創作された言い逃れのための方便です(笑)。


池谷裕二(東京大学教授)「脳を活性化し、パフォーマンスを上げるランニングとは 」 - NewsPicks



「やる気が出たから行動できる」「やる気が出ないから行動できない」
という意味のやる気というのは実は言い訳でしかないという、最近意識高い系の間でよく聞く話です。
しかし自分はやる気という概念は存在すると考える立場なので少し批判を展開してみたいと思います。


こういう文脈(特に引用の後半)で「やる気」が批判される場合というのは、
その人が十分に評価(期待)されていて客観的に「できるだろう」と思われているとか、
あるいは周囲が骨を折ってお膳立てして「きっとできるだろう」という状態まで持ってきたのに、
それでもなお本人がやらないので周囲が腹を立てているような場面をよく想像します。


そういう場面での「やる気」という概念は
「できるのにやらない」という状況に対して周囲が攻撃するための藁人形としての存在でしかありません。
この場合、本人からしてみれば文字通りに「やる気がない」のであり、
しかし率直にそれを口にしてしまうと角が立つので、本人でさえもこの状況をやる気のせいにすることによって、
その場をとりあえず穏便に済ませようとしているわけです。
「行けたら行く」「善処します」みたいな、日本語によくある建前と本音がねじれている便利な言葉。


「できる人ほどシステムに従う」というのはまあ表面的にはその通りで、
自己実現にしろ仕事にしろ勉強にしろ、まずはシステムを作るところから始めるべきだとは思います。
無根拠なやる気は到底寿命まで続くものではなく、早ければ30代辺りでもう枯渇してしまいます。
そういう事態に備えてやる気に依存せずとも継続できるような仕組みを持っておくことは重要でしょう。
それは長期的な意味合いだけでなく、体調不良など短期的にポテンシャルを発揮できない場合にも役立ちます。
しかし、それだけではそこに十分な主体性が含まれているかどうかは保証されていません。
システムの奴隷になり実はもうやりたくないと薄々感じている心を殺しながら
半ばロボットのように継続するケースもあり得るのではないかと思います。


要するに、ここで言う「やる気」は使命感などのある種の社会的責任をバックグラウンドに
能動的・自律的に行動できる能力を指し、そういう意味でのやる気は存在すると自分は思います。
それは他人のお膳立てというよりはその人自身のそもそもの能力や過去の成功体験・失敗体験、
あるいは社会的成功によって生まれた責任の有無などによって左右されると思います。
それらによって醸成されたアイデンティティーが、それをやるべきか否かという主体的なやる気を決めている。
ゲームでのみ成功体験を得続け、勉強のことになれば叱られるなど嫌な思いをし続けた学生が
勉強の「やる気」が出ないのは当然のことだし、それはその時点で他人がどうお膳立てしても無意味でしょう。
(「報酬」によって半ば無理やり行動させることはできますが)


ちなみに本人が一見してそれをさも優先度第1位の物事として「やり遂げたい」と宣言しているのに
同時にそれを「やる気がない」と思い悩んでいるようなケースはもっと低次元で、
ちょっとした思いつきを「やるべき」リストに入れてしまっているケースや、
「やり遂げたい」と思っていることが願望レベルでしかなく、
一刻も早く自分の能力の低さを受け入れなくてはならない段階であることが往々にしてあります。
なぜそんなことをするのかというと、「何もしない」という怠惰から抜け出さない言い訳にできるからであり、
これは昔の自分によく当てはまっています。
小学校高学年くらいまでなら将来の夢にメジャーリーガーやパティシエと書いても許されると思いますが、
それを成人してから言うのはいかにも馬鹿馬鹿しいと誰もが思うことでしょう。
これをリアルで他人に言ってしまうとおそらく喧嘩になってしまうのでなかなかセンシティブな問題だとは思います。


かく言う自分も、自己実現に関わる大型のタスクでいまだ着手できていないものはいくつもあり……。
まあ、言葉にはできてもなかなか実践の難しい部類なのではないかと思います。


#7574

締切を守れない症候群

今日の出来事意欲の問題

今年の自分はここ1〜2年の低迷期を経て比較的活発に活動できている部類だと思っているのですが、
ここ最近頻繁に書いている通り、ゲームを始めとしたいわゆる新規コンテンツに向かう勇気はまだ足りていません。
なので「ゲームを遊ぶこと」自体にもかなりの気力を要するという実感を得つつあるところです。
そしてここでいう気力、あるいは勇気、根性、気合と言い換えられるかもしれないそれは、
なにもコンシューマーゲームを遊ぶことにかぎらず
さまざまなコンテンツに対しても言えるのではないかとふと思いました。
要するに、動機が与えられないものに触れるにはある程度の気力のようなものが必要だということです。


最近の自分を鑑みるに、やるべき理由があるタスクを理由もなく放置することはやや減ったと思います。
一見して面倒くさいことも、今日を逃すともっと面倒くさくなるといったような場合は
逃げずに立ち向かえるようになった。
少し前まではこれすらもできませんでした。本当に延々先延ばしにしてしまう。
うつ傾向に陥るとよく起こる症状として「締切や約束を守れなくなる」というものがありますが、
まさに2022年までの自分はそれに当てはまっていました。
病院の予約などを当たり前のようにすっぽかしてしまい、当たり前のように再予約の電話をかけていました。
当時なぜそれを改善しようと思わなかったのか謎すぎますが、
まあそれだけ脳のパフォーマンスが落ちていたということなのでしょう。
合理的判断に基づいて実行するというのは、思っているよりも脳のリソースを食うのかもしれません。
ちなみに2022年当時は全然マシな部類で、締切を守れない症候群がもっともひどかったのは大学時代ですね。
まあ、あれは卒業論文というそれなりに負荷の大きな課題だったので致し方ない部分もあったかもしれませんが、
卒業論文以外の諸々の課題(バイトしないといけない問題など)も込みで考えると、
結局入学から卒業まで逃げて逃げて逃げ続けた4年間だったと言っても過言ではないと思います。
ある意味社会人になってから近年まではその逃げ癖を返済するための期間だったとも言えます。


とはいえ先延ばしにすることが絶対悪というわけではなく、タスクそのものが不適切である場合も間々あるわけです。
それも加味した上で計画のバランスを意識するようになったのも割と近年からかなと。
今年はその中でも比較的安定している部類なのですが、
これらはあくまでも生活上「やるべきこと」であるということをベースに組み立てられたシステムであり、
いわゆる「コンテンツの楽しみ方」はあまり意識して改善しようとしてこなかった側面があります。
それも当然で、昔は好きなコンテンツを見つけたら骨までしゃぶるのが当然だったから。
しかしいまや加齢によりその勢いも衰えてしまったということは受け入れざるを得ません。
だからこそコンシューマーゲームのAAAタイトルにも気合が要る、という実感があるわけです。
10年前の自分が聞いたら「何言ってんのこいつ」と思うことでしょう。


そしてそれはどうやらAAAタイトルだけではないらしく。
なんなら触れたことのないあらゆる新作が当てはまるかもしれません。
そういうものに触れること自体にもうかなり気合?を要するようになった気がします。


いま、17周年を迎えた音楽趣味も新しい楽しみ方を模索していますが、
新曲の探し方、聴き方もこのことを踏まえた上で検討する必要があるのではないかと思っています。
そして「アルバム1枚」という単位ですらそうなのでゲームはもちろん、他の文化やコンテンツも同様。
一方で昔からずっと触れているコンテンツはそういった気力を必要としないので、
過去に触れたことのあるモノの再発掘みたいなことはこれからの中年時代にもっと捗るのではないかと。
ただ、この気づきは長期的に見ると視野狭窄に陥りやすいことを示唆しており、
気力を出すのも面倒だからと旧来の世界に閉じこもることだけはくれぐれも避けていきたいところです。
この気力が尽き、それでも若者と同じステージに留まることを辞めなかったとき、
自分は周囲から「老害」と呼ばれる存在になるのでしょう。


#7500

両輪の話

「独り言」は100日ごとに書き残すようになって久しく、
また内容はその時々に感じている思想のトレンドを書き残すことが多くなってきたように思われる。
昨今のトレンドは、物事は1つだけに絞ろうとするとやる気の問題にぶち当たるが、
2つないしそれ以上に合理的に絞った上であえて両立を図ろうとすることでそれを克服しやすいということだ。
僕はこれを車の両輪になぞらえて「両輪作戦」と呼んでいる。


僕の物事に対するモチベーションは横軸を時間、縦軸をやる気の度合いとしたならば基本的に波を描くように推移する。
それが好きであるという自負があり、しかもやるべきことはたくさんあっても波は時間が経てば容赦なく落ちる。
そのことを「自分の精神力のような何かが足りないせいなのだ」と自責的に考えてしまうと、回復はさらに困難になる。
そうやって本当に大切な物事ほど下り坂で迷走し、結果を残せなかった例は数え切れない。
分かりやすく周期的な波を描くのは、おそらく人というより僕個人の特性であるように思われる。
長らく上がり続ける人もいるだろうし、直角三角形の斜線を登るようにある日突然真っ逆さまに落ちる人もいるだろう。
その周期が不本意に早いことを日常の会話では「飽き症」などと表現したりする。


自分がどのような線を描くのかを知り、それを受け入れることは自己実現のためにも重要であるように思われる。
とはいえ、波が落ちることに対して逆らうということは多大なストレスを抱えるということでもあり、
ストレス耐性の低い僕は波に逆らうという作戦はあまり有効ではないように思う。
そこで昨今実践していて比較的有望に感じているのが、あえて2つの活動を両立するということだ。
1つの活動だけではそれが低迷したときに行き詰まってしまう。
そこで、表の活動が低迷してきたらそういうものだと割り切って裏の活動に心を切り替える。
裏の活動が低迷してきた辺りで表の活動に戻れば、波はいつの間にか回復しているという算段である。


この表裏の関係は仕事とプライベートをはじめとして大小さまざまなことに当てはまるが、
どれも必ずしも描いた波に沿ってスイッチングできるわけではない。
特に日常的な習慣や対外的な活動ではどうしてもモチベーションが低くてもやらざるを得ないことは多いだろう。
しかし、少なくともスケジュールを制御できるものに関しては波を意識したタスク管理ができる。
具体的には、活動ごとに意図的にオフシーズンを設けるといったことが考えられる。
これを徹底していけば、少なくともモチベーション由来の不本意な活動停止はかなり減らせるのではないだろうか。


僕の10代、20代の歴史は「やるべきことをやらずに苦しんでいた」という側面がかなり強い。
根拠のない理想を掲げてはそれに振り回され、結局なにひとつ生み出せなかった。
理想が悪かったと言うつもりはないが、それは自分の能力を正直に受け入れることを怠ってきた罰であると思う。
いま、改めて「自分は無能だ」という前提のもと、それでもできることを模索する段階に入った。
現実と向き合うことがあまりにも遅かったことは一生涯悔いることになると思うが、
それでもなお、できることをひとつひとつ数えていきたい。
飽き性であることを全面的に受け入れた上でたどり着いた「両輪作戦」は、いわば自分専用の処世術である。


#7460

明日に期待するための努力

今日の出来事意欲の問題

ゲーム史に燦然と輝く金字塔、『スーパーマリオブラザーズ』。
このゲームの面白さを考えるということは、ゲームそのものの面白さを考えることにもつながってくると思います。
基本的にこのゲームは右に進み、ゴールまで行けばクリアというベルトスクロールアクションゲームです。
左にはスクロールしないので、初めて遊んでも右に行けば良いということは分かる。
そして、その道中で進行を阻むさまざまな仕掛けが登場するわけです。
たとえば最初に現れるクリボーは左に向かって歩いてくる。これに横から触れるとマリオはやられてしまう。
ところが、ジャンプして上から踏むと倒すことができる。
ここでプレイヤーはジャンプというのがマリオに与えられた強力なスキルであることを知ります。
クリボー以外の敵や絶壁などのアトラクションも、きっとジャンプによって乗り越えていくゲームなのだと。
そして、ジャンプを駆使して1-1をクリアすると1-2、1-3……と徐々に難しくなっていきます。
ステージをどんどん乗り越えていくことで自分のスキルの高まりを実感することができます。
このように、マリオは洞察やトライアンドエラーによってスキルを高め、
大小さまざまなスケールのハードルを「徐々に」乗り越えていくことを楽しむゲームであると言えます。


これがもし、1-2以降も1-1と同じような難易度だったら、たとえランダム生成でも徐々に飽きていくでしょう。
「これを乗り越えたら次は一体どんなものがあるんだろう」
という期待に応え続けていることがいわばマリオシリーズの一貫した面白さ、ひいてはゲームの面白さであり、
マリオにおいては徐々に難易度が高くなるという前提がそういう期待を形作るものとして機能していると思います。
ゲーム制作において、レベルデザインというのがいかに重要かということですね。
もちろん難易度の上昇だけでは作品として味気ないので、
「デザインの変化」「新ギミックの登場」などもそれをフォローする要素になります。


さて、このままゲーム性とは何かという話を続けてもいいのですが、
本当に言いたかったのは実生活においてもこれがわりと当てはまっているという話です。
実生活でも、昨日と同じような一日を送り続けるとマンネリ感によって精神的無気力感を引き起こします。
「今日はこれをしよう」「明日はこれをしよう」という期待感を持っておかないと、
どんどん生活自体に飽きて、しかし生きることからは逃れられないので精神がすり減っていってしまう。
ゲームは飽きたらやめればいいですが、実生活はそうもいきません。


先日、興味関心が浅く広いことについての批判思考を展開しましたが(#07458 / 2024年05月18日)、
浅く広すぎることの副作用は、応用性・専門性のある、スキルが求められる物事に着手できないことです。
現代はネットの発達によって文化の幅広さと情報収集の簡便さ、着手のしやすさによって
完全に空手でもできることは多いし、そういう人をターゲットにした初心者向けコンテンツは多くあります。
しかし、それらをつまみ食いしていくのはマリオで言うと景色の違う1-1を無限周回しているようなものであり、
「乗り越えていく楽しさ」は永遠に味わえないという欠陥があります。
飽きたら次、をただただ繰り返していく受動的な人生。
それは、目新しい何かをうまく見つけられなかったときにマンネリ生活に陥りやすいリスクもあります。
怖いのは、マンネリ生活をも受け入れてしまったときです。そうなったら抜け出すことはできるのだろうか。


明日、今日より発展したことをするためには、ある程度は今日を頑張らなければならない。
これは『賭博破戒録カイジ』で登場するハンチョウの名言にも通じるところがあります。



「明日から頑張ろう」という発想からはどんな芽も吹きはしない…
明日から頑張るんじゃない、今日だけ頑張るんだ
今日を頑張った者、今日を頑張り始めた者にのみ、明日が来るんだよ


(福本伸行『賭博破戒録カイジ』1巻)



これは本来、課題を後回しにして目先の利益ばかりを享受してしまう先延ばし癖を戒めるセリフですが、
受動的にコンテンツを食い潰して生活が発展していかないことに対する戒めとしてもよく刺さると思います。


現時点での自分は非生産的な生活であることは否めないですが、
ここから明日への期待感を持つに足るタスクを組み立てるのはなかなか難しいと思っています。
ただ、今後のためにもその組み立て方を言語化できるように意識はしていきたいですね。


#7444

意欲低下の原因はテレワーク?

今日の出来事意欲の問題

昨日の記事で昨今の自分のやる気が出ない理由をいろいろ検討しましたが(#07443 / 2024年05月03日)、
そういえばもうひとつ近年特有の問題があることに気づきました。
それは、ここ1年の意識の変化で「できないことを望むのは愚かだ」という考え方に基づき、
自分が無能であるという前提を積極的に受け入れようという姿勢になってきているということ。
そしてブログを遡ると、年初にはすでにこれが無気力に繋がりかねないことを予感している(#07344 / 2024年01月25日)。
結局、現状はこのときの自分が危惧した通りの状況になっていると……。


「できないことを望むのは愚かだ」というような考え方に至ったのは、
2019〜2021年辺りの意識の高さの反動から来ている意識の低さの表れではないかと思っています。
webエンジニアになることを決心してついに会社を辞めた2019年、
失業保険の受給を目当てに通った職業訓練校では自分がダントツのスキルでイキっていられたし、
それは2019年末〜2020年の研修を経て仲良くなった転職先の同僚間でもそうでした。
ある意味すごく人間関係に恵まれていた時期であるわけですが、
そこで自分がそれまで趣味としてやってきたことが認められたことですっかり天狗になっていたんですね。


2022年にヘッドハンティングされたときが意識の高さのピークでした。
そもそも自分は誰かに見られているということが社会人として頑張るための最低条件であり、
その条件が揃っていないと とことん頑張れないという人間であることをコロナ禍で思い知らされました。
テレワークによってパフォーマンスが出ない後ろめたさに加え、
ボディランゲージが一切無い文章ベースのコミュニケーションでは相手の表情を読み取れず、
結局後ろめたさ先行で悲観的な解釈が募った結果、お局様と喧嘩してしまい左遷されたわけです。
コロナ禍という不運もありましたが、それは2021年までの意識の高さを谷底へ落とすには十分な出来事でした。
そこから3つの現場を経験していますがいずれもテレワーク中心であり、状況は一度も好転していません。
テレワークであるかぎり自分の仕事に対する自信を取り戻すことはないでしょう。


そうして意識が低くなると、意識が高かったころに思い描いていたことを恥ずかしく感じるわけです。
実際かなり調子に乗っていて実現可能性の低いプロジェクトをいくつも抱えていました。
コミュニティ内で自分が一番デキる人間なんだという不遜な意識があったからこそだと思います。
そして同僚の中で一番という立ち位置をキープするために、
スキルアップのための勉強はもとより本を読むことを月間目標に据えたりもしていたわけです。
思えば2022年に自尊心が打ち砕かれてからは、ピッタリとそういうことをしなくなってしまいました。
あれからずっと成長が止まってしまっている感じがします。


確かに分不相応に意識が高すぎるのは本人にとっても良くないのかもしれません。
特に年齢的な問題で、30歳も過ぎて良い年したおっさんが「これから何かしたい」と夢を語るのは今更感がある。
本当にやりたいならもっと若いうちから着手して然るべきだろうというのは本当にその通りだと思います。
しかし一方で、年初の自分が予見しているように「できることをただするだけ」の人生はつまらない。
チャレンジング精神が無ければ人は、何かをやろうという気にもならないのでしょう。
この4ヶ月間はまさにそれを体現しているように無気力でした。


おそらくこの意識の低さは社会人としての失敗体験が生んでいる以上、
趣味であれこれもがいたところで解決できないのでしょう。
自分はこの無気力問題の根っこには承認欲求の問題があると考えていましたが、
元同僚との関係性は途切れたわけではないので人間関係の不足が原因と決めつけるには無理があり、
やはり社会人として「ある程度」頑張れているという自負がその底を支えているのだろうと思います。
そしてテレワークでは底を支えることはできない。


そういう意味では、ゴールデンウィーク明けからおそらく何度かあるであろう、
06月からの現場決めの面談が自尊心を取り戻せるかどうかの鍵を握っていると言っても過言ではありません。
webエンジニアとしての現場選びは不本意にもここ4回連続で失敗しており、
期間で言うと実に約2年半のブランクがあります。


出社は絶対としても通勤時間や仕事内容など、どこまで妥協できるかといった判断が問われると思いますが……。
とにかく今後1ヶ月は自分にとってかなり広い意味で重要な局面と言えそうです。
それでもし意欲が復活したら、もう自分はテレワークは無理ということなんでしょう。
それはつまり40代以降の展望として思い描いていたフリーランスとしての自立が難しいという意味でもあります。
いや、それならまだマシです。
最悪、2年半のブランクによって出社勤務でも社会人として適応できない可能性もある。
人間関係の構築に躓いたら全然あり得ます。
その場合は睡眠障害やメンヘラ再発によっていよいよ東京生活を維持できなくなるというシナリオも。


ほかが重要でないわけではないですが、人間関係が重要なのは言うまでもないことです。
過去の現場の成功体験・失敗体験からプロファイリングすると、
年下よりは同年代か年上、スキルが高いよりは低い方が優先度は高いと見て良さそう。
この辺がうまく噛み合えば一気に実生活が好転する可能性もあると思います。


さて、いろいろな可能性がありますが現実はどの方向へ向かうのでしょうか。


#7443

やる気が出ない原因を探る #2

今日の出来事意欲の問題

今月から2021年以来3年ぶりにアナログノートの運用を再開しました。
システム手帳ではなく、今月はとりあえずミドリの「ダイヤメモ」での運用となります。
ダイヤメモは半世紀近く売れ続けている定番のメモ帳で、
2014年当時通っていた職場の近くの書店でたまたま買ったことをきっかけに使うようになりました。
今回もたまたま最寄り駅の書店で取り扱っていたので買うことに。
ただし、いままでは胸ポケットサイズでしたが今回は初めてB7サイズにしてみました。
これはシステム手帳のM6に比較的近いので、M6の面積で十分なのか否かを判断するために選びました。
もし1ページ当たり書ける量に不足を感じるならシステム手帳はバイブルサイズを買うべきだし、
まあこれで十分かなと思うならばM6にしようかなと思っています。
1冊使い切るまではこれで行くつもり。


アナログノートは思考整理の役に立つので、せっかく運用をスタートしたということで
「なぜ今年に入ってからの自分はことごとくやる気が出ないのか」
という目下最大の課題を乗り越えるために、白紙の上で本腰入れて考えてみました。
すぐに思いつく承認欲求などの報酬の不足は、
昨今の生活を思い返すと2024年現在の自分は2023年当時の自分よりよっぽど恵まれていることに気づきます。
具体的には金銭問題や趣味のコミュニティへの参加度合いですが、これらはどちらも去年より改善しています。
つまり、これら外部要因だけを原因と決めつけることはできない。
まあ、投資については直近で負けているので現在やや心理的負荷は高い状態ですが……。


他に考えられる要因として深掘りしてみる価値がありそうだと思った気づきは、


  • サボった日が連続していることによって心理的ハードルが高まっている
  • 受動的に楽しめるコンテンツで得られる充足感が、作業によって得られる達成感の代替になりつつある
  • 途中で挫折するケースが多く「完走」した経験が相対的に減っているため目標を適切に設定できなくなっている

という3点です。
1点目はまあよくあることで、いわゆる先延ばし癖の根源とも言うべき心理現象。
これは基本的に小手先のアイデアではどうにもならないので、根性論で着手するしかないと思います。
ただタスクの細分化によってある程度克服しやすくはありそうではある。
油断するとよく陥ってしまう不治の病みたいなものですが、まあこれだけが原因なら気楽なものです。
ただ、心理的ハードルの高さが半端ないのは確かで、
丸4ヶ月サボっている自分はかなり気合を入れる必要があるのは確かでしょう。


2点目は、年初来から急速に自分の生活の中で占有率を上げてきている
YouTubeの視聴が脅威なのではないかというもの。
YouTubeが面白くて満足するならあえて積極的に努力して何かやる必要もないという。
こう書くとものすごい自堕落な印象がありますが、実際受動的なコンテンツに染まっていくことで
能動的に何かをやらないと、という焦燥感が薄れていくのを感じます。
かつての自分はネットに居場所が欲しいという気持ちが強く、
それゆえにその焦燥感に動かされてさまざまなことを計画してきた経緯があります。
GAFAがプラットフォームを整備する以前のネットは、そうしないと居場所を確保できなかったからです。
しかし、SNSなどが整備された現代においてはもはやその常識は通用しません。
加えて近年になって自尊心にも変化が起きたことでこの辺の価値観は大きく変わってしまいました。
意識改革で他人に嫉妬したり劣等感を抱いてイライラしなくなったことに対する副作用と言うべきか。


それに「動画を見るだけ」と言うのは一見してノーリスクなので、
踏み込んで何かをして失敗した経験があるとこういうものに縋ってしまう傾向はあると思います。
自分の場合は、年末の企画失敗からのドタキャンが直近で非常に大きな失敗体験になっていて、
動画で満足しているかぎりはそれに向き合わなくて済むというのはあるかもしれません。
ただ、感覚的にまだYouTubeが他作業を阻害するほど依存しているとも思っていないので、
あくまで1点目の連続サボり状態の隙間を埋める二次的な要因だと思います。


3点目。何かを「やり切る」「徹底的にする」ということができないということは、
近年に限らず昔からある自分の悪癖であり、若干今更感はあります。
ただ、計画の頓挫はそれまでの努力をドブに捨てる行為であり、
モチベに悪影響をもたらすのは間違いないでしょう。
最近は何かを計画しても、いろいろと考えた結果キャンセルするというケースが多くなっています。
それは計画自体の実現可能性がそもそも低いという問題も多分に含まれていますが、
中途半端な覚悟で着手した結果、途中で収拾がつかなくなりモチベが消えるというケースが多い気がする。
ただ、これについては2023年に新ピクチャレ大会の制作という一大プロジェクトをいちおう完成させているため、
直近でこれだけの規模感の計画ができているなら当てはまらないのでは……という見方もできます。
これは2024年特有の問題というよりもっと人生全般の課題であるような気がする。
ただ、直近も多少なり当てはまっているのは確かでしょう。
これも1点目に関連しており、連続サボりを脱出しても中途半端なところでやめてしまって
「やり切る」ところまで行けなかったら、
結局成果を生み出せないので長期的にはあまり意味が無いことになってしまいます。
あくまでも最後までできるように計画を練る必要があるでしょう。


こうして考えてみると、最大要因はシンプルかつ強力な「連続サボり問題」なのかも。
そしてそれを乗り越えるには、あれこれ言い訳を考える暇があったらとにかく着手する、これに尽きる。
こんなにシンプルなことに自分は4ヶ月も翻弄されていたのか……?
まあ、もちろん4ヶ月のうちちゃんと行動できている日もあったと思いますが、
年間計画というレンジからみると去年末、春と2回連続で計画が頓挫しているというのも事実。
とりあえずは2点目、3点目に対するちゃんとした答えを模索しつつ、
根性論で一歩目を踏み出すのが正解なんでしょうかね。


#7419

作業の初動を支える三本柱

今日の出来事意欲の問題

今日は当面の必須タスクであるweb制作1コミット分の作業を難なく終わらせられたので達成感が強いです。
押しても引いてもモチベーションを掘り起こせなかった昨今でしたが、
3点の施策を試したところやっと回復基調にあるのでその施策についてリマインドしておきます。
それは①朝食を食べる、②エレクトロニカを聴く、③分からないことはChatGPTに訊く、の3点。


朝食については、そういえば最近は起きてから2時間ちょいですぐ昼食なので朝食はいいや、
と思ってスキップしていました。が、結局それが午後まで起きられない要因なのではないかと。
今週から朝食をちゃんと用意するようにしたら普通に午前中も目が冴えるようになりました。
ただし昼寝はしています。
まあでもこれで「寝過ぎて一日中ダルい」みたいな時間をドブに捨てる現象は起こらないでしょう。
半日横になっているとわりとよくある現象です。


エレクトロニカを聴く、についてはもともと実践していたつもりでしたが、アルバム単位の再生でした。
これは選ぶのに多少の時間がかかる上に、1時間ちょい経ったらまた選び直さなければなりません。
しかも回数を重ねてくると主な名盤は選び尽くしてしまってなかなか選べない、
選べないと結局作業にも入れない……というようなことがありました。
んなアホなと思われるかもしれませんが、
作業モードへのスイッチングは可能なかぎり何も考えずにできるに越したことはありません。
で、こういうときのために
兼ねてから何も考えずに無限にエレクトロニカを聴けるプレイリストを作っておいたのを忘れていました。
これさえあれば、再生ボタンを押すだけで作業以外に気を回す必要が一切無くなる。
こういうのは作業モチベを上げるために重要なのだと改めて思った次第です。


あと決定的なのがChatGPTに訊くということですね。
webプログラミングの作業はいくらタスクの細分化をしても、
コードを書く段階でまた考えることが発生してきてそこが壁になることが間々あります。
やるべきことはわかっているが、どういうコードを書けばいいのかが分からないというように。
そうなってしまうと打開策を考え付かなければ八方塞がりになってしまい、
それがモチベに決定的な悪影響を与えることもあります。
そしてしばらく触れずにいるとブランクによってプログラミングのやり方をどんどん忘れていって、
さらに着手しづらくなるという悪循環に……。昔はこれは気合いで解決するしかありませんでした。
しかしいまは、ChatGPT先生がいらっしゃるではないか。分からなかったら訊けばいいんです。
相手はAIなんだからなんの遠慮も必要無い。これはもっと早く気づけばよかったと思います。


この3点によって初動さえ安定させることができれば、
あとはコードを書いたらこういう問題が発生した、ここができたら次はあっちを作る必要が出てきた、
などと芋づる式にタスクが出てくるのでそれを順次解決していけばよいわけです。
またweb系タスクで行き詰まりを感じるようになったらこの3点を思い出せるようにしておこう。