執筆活動の苦境
まだ大きく遅延していないので危機感は無いのですが、実はブログがまあまあな低迷期に突入しています。
この症状はいつからなのだろう、とざっとタイトルを振り返ってみると、
まあ06月上旬はいまほど低迷していなかったと言えそうな雰囲気はあります。
が、さらに遡ってみると05月下旬くらいもそれなりに低迷していると言えなくもない。
04月は全体的にそうでない雰囲気を感じるので、05月に発症して06月上旬は若干マシだったという感じでしょうか。
実は直近のキリ番記事はかなり苦しんで書きました。
低迷期のブログ記事に共通した特徴があるのかと言われると正直わかりません。
ここで「低迷している」と言っているのは要するに執筆意欲で、ブログを書くことを楽しめなくなってきているだけです。
タイトルでパッと見どちら側なのか分かるのはそれを書いたときの気持ちを覚えているからですが、
最近は急速に意欲的に書けなくなってきていると感じます。
なんというか、何も考えずに脳の表面だけで無難な話題を書いている感がすごいある。
そこそこの文量を執筆している以上、何も考えていないなどということはあり得ないのだと思いますが、
実際にはそれなりの量を半ば寝ながら捌いているというような感じがしています。
昔と違うのはそれでも特に苦しまずに1,000文字以上/日という物量を破綻せずに書けてしまうということですね。
それに何の意味があるのかは分かりませんが……。
現在につながるAI時代に突入したのがGPT-3.5やStable Diffutionが登場した2022年秋だとすると、
AIはそこから4年未満のうちに恐るべきスピードで生活に浸透してきたと思います。
そしてそれは少なからず自分の価値観を変えるにまで至っており、既存の活動の足元がますます危うくなっている。
ブログはweb制作と並んで「既存の活動の最後の生き残り」とも言える立ち位置で、
正直言ってもうタイパの悪さからすると存続意義はかなり薄いと言わざるをえないと思っています。
もちろん、そんなことはAI以前にも数えきれないほど考えてきたし、
自分にとってブログは「それでも続けざるを得ない宿命」なのだということを20周年前後で再確認したわけですが……。
今後、ブログ存続に対してネガティブな言い訳がなだれ込んできたとき、
果たして持ち堪えられるかどうかなんとも言えない局面に来ているような気はします。
AI時代になってさらにタイパもコスパも悪くなっているのは事実で、その事実に反論する材料を持っていないのが厳しい。
いまはAIの利活用こそが自分の心を満たすのだという確信がまだ持てていない段階であり、
だからこそ既存の活動を完全に切って捨てるには時期尚早という状況ではあります。
タイパの悪い活動を切り捨てたからといって余暇が充実する保証なんて何もないし、
既存の活動を切り捨てるというのはきわめて強い自己否定であり、それをやったらいよいよ虚無に陥る予感しかしない。
しかし、もしもAIで明確な活動意義を見出して「自分はAIをやっていれば後はどうでもいい」、
と言えるほどAIが面白くなってきたらいよいよブログは終わるかもしれません。
ただ、もしそうなるならそれがネット活動そのものの意義が失われるときなのかなとも思っています。