表の活動の行き詰まり
最近ふと思ったことなんですが、ネット炎上の増加って結局のところ表社会の息苦しさから来ているのかな、と。
こういう発想が無かった自分にとって炎上というのは、ネットリテラシーの非常に低い、
もっと言えば社会的地位も低い、いわゆる弱者が社会への不平不満を晴らすためにやっているのだと思っていました。
つまり究極的には社会格差の問題であったり、また弱者のモラル意識の問題なのではないかと。
しかし、実際には誹謗中傷で逮捕されるような事件をみると、表向きはちゃんとした社会人、
それもそれなりに地位のある人だったりするわけです。
そこから推測できるのは、炎上に加担する人というのは表向きは「普通の人」なのではないかと。
普通の人の裏アカからの半ばストレス解消的な投稿が炎上に加担しているのではないかと改めて思いました。
炎上の増加はそうした裏アカが増えていることを示唆していますが、
裏アカが増えているのだとしたら、それは表アカの活動が行き詰まっている人が多いからなのではないかと。
表の活動が順調なら基本的にはこの目的で裏アカを作る必要はないわけで。
令和以降のSNS社会では、誰も自分の負の側面など見せようとしません。
匿名チャットのような感覚で使っていた平成時代のSNSと比べるとその辺の空気感はかなり変わったと思います。
とにかくフォロワーから見た自分の価値を高めるために、正しい主張、より良い成果などをアピールしようとする。
ところが実際には、常に順風満帆に活動成果を出せる人というのは決して多くありません。
一定程度成長すれば過去の自分を越えるのは容易ではなくなり悩む中で、
しかし「現在の自分」は常にフォロワーにアピールしなければならないというジレンマに苦しめられることになります。
苦しみも全部吐露した上で「こういうのが自分です」とアピールする人もたまにいますが、
この高度なコンプライアンスが求められる社会でそういう姿勢が(基本的には)歓迎されないのは容易に想像できます。
それが明らかである以上、やはり軽々にネームバリューを落とすようなことはしたくないのが人情でしょう。
それを落とさないためにこれまでずっと我慢してきたわけで、今更スタンスを変えられないというのもある。
こうした現代特有の可視化されすぎた競争社会の苦しみに疲れ、
だからといっていまさらSNSで築いたネームバリューを手放すのもそれはそれで難しいと思ったとき。
束の間の開放感を得ようと人々が手をつけるのが「裏アカ」なのではないかと思うわけです。
裏アカなら、表のネームバリューを落とすことなく好き放題に発信できますからね。
そして、世に溢れている炎上はこうした疲れた一般人による無責任な裏アカ・サブアカが加担しているのではないかと。
ネームバリューが0なら極論何を言ってもいいわけで、表アカではできない有名人への凸も躊躇なくできるでしょう。
そしてこの疲弊の根本が競争社会に対する疲弊なのであれば、
必然的に「表で活躍している人」の不祥事やコンプラ違反に対して凸れば多少なりスッキリするわけです。
なので、炎上を無くしたいだけならTwitterにしろ他のSNSにしろ、
サブアカを規制してSMS認証を必須にさえすれば相当減るんじゃないかと思います。見かけ上の治安も良くなるでしょう。
ただ、表向きのSNSの息苦しさが解消されないかぎりは、
その受け皿となるアングラなサイトがいままで以上に盛り上がるなどして
結局ネット全体としての炎上案件は無くならないような気はします。
これはもうSNSという構造自体の欠陥だと思うのですが、しかしこれを解決するのは容易ではないような気がします。
初期のmixiがそうでしたが、SNSのメインコンテンツが「日記」という体裁だった2000年代中期が
ある意味もっとも平和で理想的なSNSの姿だったんじゃなかろうかと今更ながらに思う今日この頃です。