新時代のパラソーシャル関係
ホロドリをきっかけに紆余曲折あったホロライブに対する熱が一気にポジティブに寄っている昨今。
ホロドリのプレイ時間と配信の試聴時間を合計するとプライベートのかなりの割合を侵食していて、
相対的に従来型の活動は縮退、また従来の推し活という位置付けだった絵師さんへの支援は優先度が下がりつつあります。
果たして自分はこのまま、従来の活動をホロライブ推し活動に置き換えることになるのでしょうか。
これについては、今後最後の1ピースである所属欲求を得られるかどうかがキモになってくると思います。
もしそれを得られれば、もしかしたら自分は従来型活動を捨てても良いと思えるほどVTuberに傾倒するかもしれない。
しかしそれを得られないかぎりは今後もホロライブはエンタメの1カテゴリに止まり、
それに対する自分の気持ちは浮き沈みを繰り返すでしょう。
逆に言えば、従来型活動は所属欲求を満たすための土台が確立しているからこそ、
エンタメとしての魅力が枯れてもなかなか離れることができないという側面もあると思います。
ここでいう所属欲求とはつまり、「自分が他者から必要とされている」という実感を意味します。
これは通常、推す-推される関係において成立させるのは相当困難でしょう。
基本的に推し活というのは一方的な親近感によって持続するもので、それをパラソーシャル関係と言うそうです。
VTuberが従来のアイドルと違うのは、スパチャによって推しの注意資源を金銭で買い取ることによって、
パラソーシャル関係ではあるものの一時的にこちらを認知してもらうこともできるという点です。
まあ、AKB48の握手券も似たようなものなのかもしれませんが。
いずれにしろ、VTuberにおいてはお金さえ出せば一時的に社会的欲求を満たすことはできる。
お金を出さなくても、配信にコメントし続けていれば読み上げられることもあるでしょう。
そういうゆるい双方向性は従来のいわゆるアイドルとはちょっと違う立ち位置です。
また、VTuber界隈はクリエイティブなファン活動者とタレント本人が持ちつ持たれつの関係になっている特徴もあり、
なんらかのスキルがあれば推しから「必要とされている」という実感を得ることも不可能ではありません。
そういう意味では、金銭やスキル次第では単なる推す-推される関係を越えられる可能性を秘めています。
が、それはもちろん相当にコストを払って初めて実現するもの。
ファン活動の努力にしろスパチャのための金銭コストにしろ、一定以上の水準で支払い続けなければ意味がありません。
金銭やスキルが停滞したら認められなくなるなら長期的な活動は難しいだろうし、
社会的欲求を満たすために膨大なスパチャを投げることが果たして合理的なのかと言われるとかなり苦しい気がします。
純粋にコンテンツを楽しんで、それだけで満足できればそれが一番良いのかもしれません。
従来で言うところのテレビのような位置付けと割り切るのが健全な考え方のような気はします。
ホロライブに限らず、何か文化に接近するにつけ所属欲求について考えてしまうのは、
自分がそれだけ寂しい人間だからなのでしょうか。
あるいは既存の人間関係に対してうっすらと溜まっている鬱憤が、新しいつながりを求めてやまないのでしょうか。
リアルの知り合いのうち何人かにはVTuberが好きなことは公言していますが、
同世代では理解してくれる人がなかなかいない印象で、VTuber自体はまだまだマイナーな文化なのだと実感します。
かといってこの界隈はファン同士の交流が盛んとは言えず、新たなつながりも持ちにくい。
すると、自分は結局のところ推しについて語れる機会を持ち得ないことになるわけですが、これが致命的な気がします。
せめて、それを何も否定せずに聞いてくれる人がいたらだいぶ違っていたかもしれません。
これは長期的にはVTuberだけでなくあらゆる文化に対して言えることで、
結局のところ、安全なコミュニケーションができる相手がいるか否かというのが何らかの文化に触れること以上に、
あるいは社会でなんらかの役割を持つこと以上に重要なことなのではないかと改めて思うわけです。